東日本大震災から13年が経った――。

 甚大な被害を受けた東北の地から、優れた技術や研究成果を世界に発信しているのが東北大学だ。政府が創設した10兆円規模の「大学ファンド」初の支援対象である「国際卓越研究大学」(卓越大)の認定候補にも選ばれた。

 4月9日、その東北大が震災からの「復興の象徴」として構想してきた施設が始動する。世界最高レベルの高輝度放射光施設「NanoTerasu(ナノテラス)」が官民地域パートナーシップ(量子技術研究開発機構、光科学イノベーションセンター、宮城県、仙台市、東北大学、東北経済連合会)により整備され、ユーザーとなる企業などが施設の利用を開始するのだ。

 この施設は簡単に言えば「巨大な顕微鏡」のようなものだ。「ナノ」の単位(10億分の1メートル)で物質を分析でき、新素材や新技術などの開発が期待されている。2023年5月に開かれた「G7仙台科学技術大臣会合」では、各国の科学技術大臣や海外産業団体などが視察に訪れた。

 東京からも1時間半の好立地に位置するナノテラス。同施設を「多くの企業や科学者が集まるような、日本のイノベーションのモール(中心地)にしたい」と語るのは、東北大学 国際放射光イノベーション・スマート研究センターの高田昌樹教授だ。高田教授は資金調達のために多くの企業を訪問して経営者を説得するなど、震災以降、ナノテラス実現に10年以上にわたって尽力してきた。ナノテラス誕生の舞台裏と、今後のビジョンを聞く。

●まるで巨大な宇宙船 「研究開発のDX」に

 東北大の青葉山新キャンパス内にあるナノテラスに足を運ぶと、まるで巨大な宇宙船のような円盤状の建物が立ち現れた。東京ドームのようにも見える。高田教授はナノテラスを「企業が事業に活用することによって、社会課題の解決に対応する施設にしたい」と意気込む。

 ナノテラスは太陽光の10億倍以上の明るさ(輝度)の「放射光」を使って、モノの構造や状態をナノレベルで可視化できる施設だ。兵庫県の播磨科学公園都市には、理化学研究所の放射光施設「SPring-8」(スプリング8)があるが、ナノテラスは一部の波長の放射光で、その100倍の輝度を有している。

 スプリング8は主に、X線の中でも波長が短い金属材料などの内部を見るのに適した「硬X線」を使う。一方ナノテラスは、物質の表面を詳細に調べたり、化学反応や物質の性質が変化する様子を観察したりするのに適した「軟X線」を使うという。つまりナノテラスでは物質の機能に関する詳細なデータを取得できる。そのデータを基にグラフや2次元モデル、3次元モデルを作成することによって、誰でも視覚的に物質の状態を理解し、シミュレーションで活用できるのだ。

 「専門家だけが分かるデータではなく、製品の実態が可視化されることによって誰もが理解できるデータになります。まさに(現実世界から収集したデータをもとに、その現実世界をコンピューター上の仮想空間に再現する)デジタルツインですよね。研究開発のDXともいえます。可視化することで実際に見られますから、実物とデータを照合させ、科学的にはいろいろな『答え合わせ』ができるのです」(高田教授)

 では、この超高性能の顕微鏡によって何ができるようになるのか? キーワードは「可視化」だ。放射光施設は現在でもスマホの画面やシャンプー、虫歯予防ガムといった身近なものからエコタイヤや建材、EV(電気自動車)、炭素繊維など多くの技術開発に使用されている。ナノテラスが実用化されれば、こうしたさまざまなものの性能向上に役立つ。

 例えば、日本が後塵を拝したコロナワクチンの開発においても、細胞の中でワクチンがどう効果を発揮するのかを可視化できるため、感染症にもいち早く対応できるのだ。(あらゆる段階で資源の効率的・循環的な利用を図りつつ、付加価値の最大化を目指す社会経済システムである)サーキュラーエコノミーへも寄与する。例えばポリマーの合成・分解・再生の過程を可視化することによって、ポリマー材料のリサイクルやアップサイクルにもつながるのだ。

●経団連の十倉会長「科学技術立国の一翼を担う」

 産業界からの期待は大きい。日本経済団体連合会の十倉雅和会長は22年10月にナノテラスを視察し、東北地方経済懇談会後の共同記者会見で期待を示した。

 「次世代放射光施設『ナノテラス』は、物質の反応プロセスを可視化できる素晴らしい施設である。世界中から研究者が集い、先端科学技術の拠点となり、起業が増えることも期待される。東北の新しい魅力を体現する場であるが、潜在力はそれにとどまらない。日本は断固たる決意で科学技術立国を目指している。ナノテラスがその一翼を担うことを期待している」

 視察には経団連から十倉会長に加えて審議員会議長の冨田哲郎氏(JR東日本会長)、遠藤信博氏(NEC特別顧問)や東原敏昭氏(日立製作所会長)、安永竜夫氏(三井物産会長)など10人の副会長が訪れた。力の入り方が分かるだろう。

 ナノテラスの建設には約400億円が投じられている。200億円を国が、残りを「地域パートナー」側がそれぞれ負担した。学術研究だけでなく民間企業の研究開発にも活用の門戸を開放しているのが特徴だ。財務省は令和3年(21年)11月1日の歳出改革部会で「民間資金を活用した、今後の施設整備・運用のモデルとなり得る」と評価している。

 建学の理念に「研究第一」「門戸開放」を掲げた東北大が加わる「地域パートナー」ならではの枠組みだ。同大は企業の研究部門やスタートアップの集積を促すサイエンスパークも整備している。

●NTTやアイリスオーヤマが加入 50万円で共同利用権も

 高田教授らは、ナノテラスの実現にあたって「コアリション(有志連合)」という産学連携の新しい形を提唱した。このコアリションとは、放射光を使ったことのない企業でも、取り組みたいテーマに応じて、学術メンバーから放射光を使った実験やデータ分析などの支援が受けられる仕組みだ。産学双方が、強力な一対一の新たなチームを結成。厳格な情報管理のもと、共同で課題解決を図るユニークなスキームとなっている。

 具体的には企業や大学、国立研究開発法人が1口5000万円の加入金を支払ってコアリションメンバーになり、ナノテラスの利用権(10年契約、年間200時間)を得る形だ。中小企業(東北6県および新潟県に限る)には、任意団体「ものづくりフレンドリーバンク」に加入することによって、100分の一に小分けした1口50万円でナノテラスの共同利用権(10年契約、年間2時間)を得られるようにもした。

 こうした枠組みを作りながら、高田教授を始めとしたメンバーは延べ1500回以上の企業訪問を実施。地道な対話を続け、産業界などから150社の参加意向表明を集めた。参加メンバー名は原則非公表だが、業界は自動車や化学・非金属材料、金属・エネルギー、食品や金融など多岐にわたる。大手ではNTTグループやアイリスオーヤマなど13社が加入を自ら公表。その他に、企業と同様の条件で加入した9大学や国立研究開発法人がある。

 「東北にある以上は、地域の人たちにとってメリットがあり、応援してもらえるものにしたいと考えました。『これは私たちの誇りだ』と実感でき、社会に開かれた形にする必要性があるのです。集まってくださった企業と一緒に施設の活用方法を考え、多くの声を集めていくことが大事だと考えています。企業の決裁を経てお金が集まっている事実は、ナノテラスの必要性を証明する一つのエビデンスです。これが積み重なっていくことによって、徐々に国全体も変わっていくと思います」

●目標は製品化 カギを握るのは経営者

 このコアリションの仕組みを使い、高田教授が目指すのは「ナノテラスを活用した製品を生み出すこと」だという。

 「ナノテラスは単なる『ものを見る道具』なのです。手段であって技術そのものは目的ではありません。ここに集まる人々が、ナノテラスを活用して、どのように社会に貢献していくかが重要なのです。もちろん論文や特許も大事ですが、それ以上に製品化を目標にした重要な研究に使っていただきたいと考えています。その方が研究者も胸を張れますよね? 特に企業のコア技術の開発にナノテラスが使われることが肝ですね」

 企業のコア技術にナノテラスが使われることによって初めて、技術が産業とつながるのだという。高田教授は、特に経営者層の理解が欠かせないと指摘する。

 「コア技術に使われないと、企業にとっては末端の話になってしまう恐れがあります。日本の独自技術によって生まれたナノテラスを、ぜひ日本の経営者の方々に知っていただきたいですし、自社で使っていただきたいと思います。そして企業と一緒に挑戦していく。ナノテラスを稼働させることによって、サーキュラーエコノミーなど国の産業の根幹になる事業を作りたいのです。そのような志が集まる場にならないといけない。イノベーションの『モール(中心地)』と呼ぶ理由はここにあります」

●東日本大震災からの復興のシンボルに

 ナノテラスの計画が始まったのは13年前の東日本大震災の1週間後だった。東北放射光施設の建設計画として始まったのだという。いわば東北復興の象徴として推進してきたのだ。高田教授は当時を振り返る。

 「科学者の仕事は科学を使っていかに社会貢献をするか。どう皆さんを幸せにするか。そこまでが仕事だと思っています。そう考えたときに、あの震災の光景を見て、科学者として何ができるかを考えました。恐らく私だけでなく、多くの人がそのことを考えたと思います。日本は科学技術立国で、産業が強いわけですから、われわれにできるのは科学の力で東北の経済を盛り上げることだと考えました。震災の1週間後には構想案をまとめて提案し、人員や予算を確保していきました」

 高田教授は23年、震災当時からナノテラス実現への歩みを、宮城県仙台第三高校の生徒たちに講演した。その際に生徒たちは鋭い反応を示したという。

 「(参加した)132人のほぼ全員がいろんな感想を書いてきて、生徒の真剣さ、意識の高さに胸を打たれました。その生徒たちは5歳や6歳で震災を経験しています。自分たちが東北を守らなければならないという使命を抱いているように感じました」

 生徒からは「ナノテラスをどう活用していくかは、これからの時代を創っていく自分たちにかかっているという自覚が芽生えた」「私たち次第で世界がいい方向に変わるかもしれないという希望を持てた。これからたくさん勉強したい」「研究者になりたいと強く思った」など、心を動かされるコメントがあったという。高田教授の思いやナノテラスは、研究や科学の世界に加えて、東北の子どもたちの未来を明るく照らすものになりそうだ。

 まさにナノテラスの意味は10億分の1を意味する「ナノ」と、世の中を照らす日本神話の『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』を掛けたもの。「ここで得られた知見や成果が、世界に豊かな実りをもたらしてほしい、という思いが込められています」(高田教授)。

●イノベーションエコシステムの構築へ  

 記者は高田教授の取材の中で、多くの技術的な話が語られると想定してインタビューに臨んでいた。だが実際に語られた大部分が「ナノテラスを使っていかに人を集めるか」「いかに社会に貢献するか」だったのだ。立場を超えた多くの人たちによる「共創」が始まろうとしている。

 「放射光はハブでしかありません。大切なのは、そこでどれだけ重要な社会課題を取り扱うか。どう社会につなげていくのか。この場所を中心に多くのヒトやモノ、資金が動いていくようにしたいのです。専門家だけにしか分からない使い方をしていては、結局はイノベーションにつながる結合をしていかないからです。サーキュラーエコノミーなどの経済システムが構築されていく中で、日本もきちんと市場を作っていくためには、科学技術をリードしていくことが欠かせません。そのときのツールとして、ナノテラスは有効だと考えています」

 3月で退官した第22代東北大学総長の大野英男氏へのインタビューでは「ナノテラスを活用して材料科学から生命科学や食糧までのイノベーションエコシステムを構築する」と話していた。

 復興の象徴として始まったナノテラスから、科学技術立国ニッポンの新しい一歩が始まろうとしている。

(アイティメディア今野大一)