プロジェクトに「教科書的な完璧さ」を求めてはならない

――優等生的なリーダーはどのような失敗を起こしてしまうのでしょうか。

豊島 開発プロジェクトには、常に「スケジュール」「マンパワー(人員)」「コスト(予算)」という3つの制約がつきものです。井深氏は、これらの制約を「スケジュールの最短化」だけに絞り込み、他の2つは上限をなくしました。

 人員や予算が不足した時は、トップが責任をもって調達します。「予算を使い込んでしまったので、今期はこれでおしまい」といった優等生的な考え方では、いつまでも完成できないのです。

 四つ目は「トップによる技術の良しあしを見抜く目利き」です。井深氏は、常々「感性を磨くことが、トップに課せられた宿命」と話していました。開発プロジェクトでは、予期せぬ出来事が多々起こります。その時、リーダーは状況を見抜いてフレキシブルに判断し、担当者の交代や仕様変更などの対応を迅速に行う必要があります。

 五つ目は「一気呵成に事を運ぶため、携わる多くの人に参加してもらう」です。当時の開発プロジェクトというと、研究開発部門から設計部門、製造部門、販売部門へと順送りで進行することが一般的でした。ある部門で成功したものが次の部門へと送られる、という形です。しかし、井深氏はこの手法を採りませんでした。

 井深氏は、最初から各部門の全メンバーを集め、一人のリーダーの下で研究開発から販売まで一気に進める方法に改めたのです。そして、新製品が市場で販売開始されれば、そのチームは解散します。その結果、多くの次世代リーダーが育ちました。この取り組みを通じて、井深氏は「新製品が人を育てる」と語っています。

 六つ目は「人手不足は燃える集団化で精鋭となり補える」です。新規の開発プロジェクトでは人手不足がつきものです。そして、必ずしも各部門の精鋭が集まるわけではありません。

 その時にトップやリーダー自らが「この製品が発売されれば、世の中にこんなインパクトを出せる」と社会的意義を語り、本気になって仕事をしてもらうことが必要だ、と井深氏は言います。「社員の心に火を点けることこそ、リーダーの最も大事な役割」だと言うのです。そして、「燃える集団と化すと、立ちはだかっていた研究の壁が突破できた」とも語っています。

 これらの考え方は、日本が電子立国を目指した当時に用いられていたものです。しかし、その奥底には、現代のリーダーにとって示唆になる点もあるのではないでしょうか。