スポーツ業界大手のMIZUNO。漢字で書くと「美津野」と書くって知っていましたか? 今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、作家の城山三郎氏が紹介する、創業者の共通項として語られたMIZUNOの精神を紹介します。
MIZUNOが世界的企業になった理由経済小説の先駆者として知られた作家の城山三郎氏。
『致知』2005年2月号にご登場いただいた際、「創業の精神」をテーマに、いくつもの印象深いお話を聴かせてくださいました。
本日はその記事の一部をご紹介いたします。
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いろいろな創業者にお会いして、その人生観の根本に感じる共通項のようなものはあります。
人生を賭けているという感じ。賭けることが生きることなのだという感じですね。
そういう気配を、みなさん、備えている。これは裏を返せば、最後はどうなってもいいや、という一種の諦観ですね。
こう言うと誤解されそうだが、諦観というのは決して後ろ向きのものではない。
深いところから出てくる諦観は、人間はもともとゼロなのだという強さに裏づけられた前向きのものなのです。
創業者の多くはそういうものを備えていて、己が起こした業に人生を賭けている。そこに自分のすべてを投げ出している。
一方、現代では、どうしても持ったものを失うまいとする。小成に固まる。最近もいろいろと創業者は出ていますが、もう一つ海のものとも山のものともつかない危うさが付きまとうのは、そのあたりに原因があるのでしょう。
しかし、最後はどうなってもいいという諦観に立って己の人生を賭けられる人は強いだけでなく、人間として卑しさがないし、清々しいですよ。
卑しく生きてなんの人生ですか。
創業者の人生は起こした会社を軌道に乗せ、大きくすることだけを考えていれば、卑しくなくきれいなものになるんです。そこに人生を賭けていれば、自ずとそうなります。
ところが、余計なことを考えるから卑しくなる。
蓄えた財産をどう保全しようかとか、息子に事業を譲りたいとか。
そういうのは大概一代でだめになってしまいますけどね。それは本当に自分のすべてを業に賭けていないからです。
真の意味での「魔」がないんです。
スポーツ用品メーカーのMIZUNOは漢字では美津野と書きます。だが、創業者の姓は単純に水野なんです。
だから、社名は水野にしてもよかったわけだが、そうすると会社は水野家のものになってしまうということで、美津野にした。
だから創業者の息子が入社しても、他の社員と差別しない。むしろ痰壺の掃除のような皆が嫌がる仕事をさせる。
では、後継者はどうするか。等しく社員にその資格ありという考えです。
そのためには社員に勉強をさせなければならない。だから「本を読め」と命じる。
ただ本を読ませるだけではない。読んだ本について二十分間、社員に話させるんです。社員も大変だが、一人の社員につき二十分、話を聞く社長も大変ですよ。
だが、忙しい社長業にもかかわらず、それをやった。社業にすべてを賭け、会社を大きくすることだけを考えているからできるんですね。
MIZUNOが現在あるのは、その精神の表れと言えるでしょう。
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