高校野球界の“横綱的存在”である大阪桐蔭高校。そのキャプテンを務めた人物の今――。プロを目指した経緯を持ちながら、現役生活を終えての社会人生活のち現在は起業した水本弦さん(29歳)に、社会人生活と西谷浩一監督のチーム作りの極意について聞いた。(全3回の第2回/第3回へつづく)

「全く戦力になれず、申し訳ない気持ちで」

 かつて大阪桐蔭でキャプテンを務め、26歳限りで野球人生に幕を下ろした水本弦さん。彼が社会人野球時代に所属した東邦ガスで営業部から異動となって配属されたのは、ガス管の工事を手配したり、施工を管理したりする部署。基本的な知識や用語さえ分からない。

「営業時代は電気の販売をしていましたが、野球を辞めてからはガス設備の担当になりました。全く戦力になれず、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」

 職場は理系の大学を卒業した人や工業高校の出身者ばかりだった。野球中心の生活を送ってきた水本さんにとっては、勝負できる場所ではなかった。1年半ほど社業に専念して退職を決めた。周囲からは「安定した生活を捨てるのはもったいない」、「せっかく、ここまで野球を頑張って入社した会社なのに」と言われた。だが、水本さんには会社に残る選択肢はなかった。

 野球に区切りをつけてから、水本さんは起業を考えていた。サラリーマンとして過ごしながら、どんな業種を専門にするのか考えていた。たどり着いた結論は、野球経験者に特化した就職・転職の支援だった。昨年5月、名古屋市に「リングマッチ」を立ち上げた。社名には、それぞれにふさわしいリング(土俵)で人材と企業をマッチングさせる思いを込めた。

「野球をしていた人と関わる機会が圧倒的に多かったので、自分自身を含めて長所と短所がはっきりと分かります。それを理解できている人が野球経験者と企業をマッチングさせれば、両者が幸せになると考えました」

合っている仕事と不向きな仕事を経験したからこそ

 水本さんは東邦ガスで自分に合っている仕事と不向きな仕事、どちらも経験している。

「野球で培った力を発揮できる仕事内容であれば、人一倍戦力になれるはず」

 野球経験を生かしたい求職者と野球経験が生きる企業をつなぐ事業に自身の適性とやりがいを見出した。

 水本さんは野球を通じた人脈を生かし、自ら営業マンとなって野球経験者を求める企業を全国から集めている。

「リングマッチ」には専門知識のあるキャリアアドバイザーも在籍。目標に向かって努力を継続する力や課題を見つけて解決する力、協調性や自己犠牲など、野球で養った長所が生きる企業を求職者に紹介している。

 企業側からの需要は営業や企画に関わる職種が多いという。水本さんは「営業は断られることが多いですし、企画は何度もやり直しが求められます。どちらも気持ちの強さや、失敗を成功に変える力が必要です。野球と共通していると思います」と説明する。「打率3割」、「防御率3点台」が一流と言われる野球は失敗を前提としたスポーツであり、忍耐や課題解決なくして結果は残せない。

人材育成のビジネススクールの夢も持っている

 水本さんの考え方に賛同する企業は着実に増えている。

 名古屋市で医療機器を販売する「CTM」も、その1つ。長井昭人社長自身が野球をしていたこともあり、野球に打ち込んできた人の長所を理解している。営業マンの大半は野球経験者で、2001年の創業から増収を続けているという。今後は「リングマッチ」と連携を深め、野球を引退した人たちが活躍できる場を積極的に増やしていくつもりだ。

 プロ野球選手を断念した水本さんは、新たな夢を描いている。現在展開している人材紹介にとどまらず、企業が求める人材を育成するビジネススクールも視野に入れる。エンジニアやマーケティングといったスキルをビジネススクールで学び、野球を通して身に付けた長所と掛け合わせれば、第2の人生でも充実感を得られると考える。

社会人になって戦力になれない、となってほしくない

 守備位置のコンバートで輝く選手がいるように、仕事にも適材適所がある。

「野球を一生懸命やってきた人が報われる仕組みをつくりたい気持ちが強いです。社会人になったら会社の戦力になれない、やりがいがないということになってほしくないですから」

 かつては打力とキャプテンシーでチームを牽引した水本さんは今、野球経験者と企業のつなぎ役に徹している。

 そんな水本さんがキャプテンシーや起業精神の土台を磨いた大阪桐蔭では、その当時から現在まで西谷浩一監督がチームを率いている。高校野球ファンだけでなく、世間的にも「野球の名門校」として知れ渡る存在となった。

 中学時代に実績のある選手が全国から集まる大阪桐蔭には、「勝って当然」という見方が強い。だが、毎年選手が入れ替わり、一発勝負のトーナメントで勝ち続けるのは簡単ではない。しかも、大阪桐蔭が甲子園に出場するには、激戦区の大阪府や近畿地区を勝ち上がらなければならない。

最悪の想定をしてから試合に入っていました

 2012年に主将を務めた水本さんは、大阪桐蔭の強さの要因に準備の徹底を挙げる。水本さんは藤浪晋太郎投手(現メッツ傘下3A)や、澤田圭佑投手(現ロッテ)、森友哉捕手(現オリックス)らとともに、甲子園の春夏連覇を達成している。

 なぜ、西谷監督率いる大阪桐蔭は負けたら終わりのトーナメントに強いのか。甲子園でも安定した成績を残せるのか。その理由をこのように語る。

「様々な状況をイメージして、その中でも最悪の想定をしてから試合に入っていました。先制されたり、3点のビハインドになったりした時にどうするのかを考えます。上手くいくと思って試合に入ると、先制されてガタガタと崩れてしまいますが、3点取られてからひっくり返す想定をしておくと慌てずにプレーできます」

 それはセンバツで現チームが見せた戦いぶり、そして西谷監督が残した言葉からも見えてくる野球哲学があった。

<つづきは第3回>

文=間淳

photograph by Gen Mizumoto