今年(2024年)12月をもって指揮者引退を発表している井上道義のカウントダウンが進んでいる。昨年12月の大阪フィルハーモニー交響楽団との「第九」が“井上道義と大阪フィルとの最後の「第九」” 、来月(2024年2月)に迫った大阪フィルの定期演奏会が“井上道義、最後の大阪フィルの定期演奏会” と、最後のという形容詞が付く形でのチラシやSNSなどを目にする機会が増えた。井上道義が大阪フィルの最後となる『第575回定期演奏会』(2024年2月9日(金)、10日(土) フェスティバルホール)に選んだ曲は、ショスタコーヴィチの作品の中でも演奏機会の少ない交響曲第13番「バビ・ヤール」。最後に何故「バビ・ヤール」を採り上げるのか? この曲の魅力は? 多忙を極める井上道義に聞いた。

指揮者 井上道義  (c) Yuriko Takagi

指揮者 井上道義  (c) Yuriko Takagi

●作曲家を私自身だと思わない音楽家は、偽物だと思う。

――大阪フィルの最後の定期演奏会に、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」を選ばれたのはどうしてでしょうか。現在の世界情勢を考慮された部分はありますか?

選んだ理由は、何とも素晴らしい魅力に満ちた激しさ、また、人が誰でも持ってしまう差別感が、その逆の美しい響きの中に微妙に表現されているから。大人の音楽として、これほど我々を追い詰めてくる悪徳の高揚感を、赤裸々にソヴィエト=ロシアへの反省と告発として、地に着いた作品を俺は他に知らない! 数ある交響曲の中で、男声の低音の雅やかさと優しさ、肉体的な魅力をこれほど前面に押し出したものはない。しかしフィジカルな面で、本当の低音の魅力はなかなか日本の合唱団では得られないから、今回NHK交響楽団と連携してスウェーデンの素晴らしい男声合唱団 オルフェイ・ドレンガーを招聘しようと大フィルが決断してくれた。円安の影響や、航空券の高騰や、宿泊費の高騰など、いま招聘にはものすごくお金がかかるにも関わらず。実は、コロナで3年間延期しているので、井上もこの間にどんどん身体にガタが来て、実際問題今ギリギリな状態。やっと間に合ったと言っても良いくらい。だからこれはウクライナやイスラエルの問題が起きる2年以上前に決めたプログラム。音楽で糾弾されていることが今、現実となってしまっている。

オルフェイ・ドレンガー(スウェーデン王立男声合唱団)

オルフェイ・ドレンガー(スウェーデン王立男声合唱団)

――2014年の大阪フィル首席指揮者就任披露の定期演奏会は、ショスタコーヴィチの交響曲第4番でした。遡って2007年に東京では『ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会』もされています。井上マエストロにとって、ショスタコーヴィチはどのような作曲家なのでしょうか。

自分が日本に生まれた出生への疑念、伝統的芸能と真の芸術の混同、アメリカ頼みであった20世紀の日本文化に対して地に足がつかない不安。そんな思いを抱きながらの諸外国での指揮者生活の後、京都市でオーケストラと取り巻く日本社会と芸術の関係を、音楽を通して解きほぐそうと戦ったことがあった。男女の関係も含め、それらのすべてがショスタコーヴィチの一生の中に、俺の何十倍もエクストリームな状態で在り、彼の音楽の内容はそれら全ての政治的社会的拘束をはぐらかすかのごとく、常に真に自由であったことを発見した。彼のように生きれば良いのだと思ったのですよ。だから「ショスタコービッチは私自身だ!」と言っちゃうわけ。でも音楽家は日々、多くの作曲家の世界に深く共感し、音楽を通してその人を生き返らせ、話し合っているのだから。ベートーヴェンは、モーツァルトは、ストラヴィンスキーは、伊福部は、武満は、自作で井上は……。作曲家を私自身だと思わない音楽家は、偽物だと思う。

指揮者 井上道義 (c)飯島隆

指揮者 井上道義 (c)飯島隆

――交響曲第13番で作品番号が113。呪いの番号と言われる9番のシンフォニーを軽妙洒脱に笑い飛ばしたショスタコーヴィチも、「バビ・ヤール」に関しての向き合い方は少し違うように感じます。難解に捉えられがちなこの曲の魅力や聴きどころを教えてください。

作品番号の話で言えば、10年前、大フィル首席指揮者就任プログラムに、色んな「4」が並んでいたので、ふざけて「これは不吉だな……ウッシッシ!!」とか冗談言っていたら、中咽頭がんで本当に死ぬかと思った。10年は早い。「音楽家」ショスタコーヴィチは、命の危険があるので言葉で明言することを避けてきたが、ここではっきりと雪解けのソヴィエト=ロシアに対して、ユダヤ系ウクライナ人とユダヤ系ロシア人への大量殺戮を、敵国だったドイツのファシストの仕業と誤魔化していたこと(こういうことはわが国でもあったし今でもある)を、この交響曲第13番において言葉で表現している。しかし、そのことを忘れて聴いても良いほどオーケストラの響きは独創的で、詩的で、印象派的ですらある部分に満ちている。そして「ガリレオの時代、地球が太陽の周りをまわっているのはたくさんの科学者が知っていた。しかし彼らには家族があった」とか「ユーモアはどんなところからも逃れるし、何処にでも入っていく」など、ハッと思わせる言葉に満ちていて他人事とは思えない。字幕も出るので、邦訳を見て欲しい。

首席指揮者就任披露定期演奏会でショスタコーヴィチ交響曲第4番を演奏後のカーテンコール(2014.4. フェスティバルホール) (c)飯島隆

首席指揮者就任披露定期演奏会でショスタコーヴィチ交響曲第4番を演奏後のカーテンコール(2014.4. フェスティバルホール) (c)飯島隆

指揮者 井上道義 (c)Yuriko Takagi

指揮者 井上道義 (c)Yuriko Takagi

――2007年の『交響曲全曲演奏会』の時は、「バビ・ヤール」と交響曲第10番を同じ回に演奏されました。今回、前半で演奏する曲の中で、ワルツ王ヨハン・シュトラウス二世が、ロシアのパヴロフスクで書き上げた「クラップフェンの森で」ともう1曲、ショスタコーヴィチの曲を採り上げられますね。「ステージ・オーケストラのための組曲(ジャズ組曲第2番)」の魅力を教えてください。

「ジャズ組曲」は色んな意味で楽しくもあり悲しくもあり、帰り道で口ずさみたくなる曲ばかり! 痺れます。

指揮者 井上道義  (c) Yuriko Takagi

指揮者 井上道義  (c) Yuriko Takagi

――男声合唱同様に、ソリストのバス歌手アレクセイ・ティホミーロフも海外からの起用ですが、その理由は?

それは簡単な話、ティホミーロフ​とオルフェイ・ドレンガーが「素晴らしく上手いから」です。お金がかかってもそれに値する大いなる価値があるからです。

アレクセイ・ティホミーロフ(バス)

アレクセイ・ティホミーロフ(バス)

●ショスタコーヴィチは、良い指揮者とオケが十分に練習を積まねば絶対出来ません。

――ここまで、大阪フィルではショスタコーヴィチの交響曲は、第2番、3番、4番、5番、7番、11番、12番を指揮されています。大阪フィルのショスタコーヴィチが、他のオーケストラと違う所はありますか。マエストロが首席指揮者を離れられた2017年度から7年が経過しましたが、尾高(忠明)大フィルのサウンドは、マエストロから見て、どの様に思われますか。

ないです。今の大フィルにそれほど他と違う強い個性はありません。大阪の街と同じです。ショスタコーヴィチは、良い指揮者とオケが十分に練習を積まねば絶対出来ません。ベートーヴェンのそれに近いところがあります。演奏会の結果は、練習時間に比例すると言っても良いと思います。世界中のどのオーケストラでも同じです。ベートーヴェンのように終わりにハッピーに解決しない音楽ですから、逆に世の中の真実に近いとも言えます。下手に演奏されたショスタコーヴィチほど暗く、長く、難渋なものはないと思いますよ。

コロナ禍の中、無観客LIVE配信で演奏した「春の祭典」(2020.3.フェスティバルホール) (c)飯島隆

コロナ禍の中、無観客LIVE配信で演奏した「春の祭典」(2020.3.フェスティバルホール) (c)飯島隆

ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」終演後(2015.11.フェスティバルホール) (c)飯島隆

ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」終演後(2015.11.フェスティバルホール) (c)飯島隆

――引退までカウントダウンを迎えていますが、ファンからすると、まだまだ井上マエストロのショスタコーヴィチやブルックナー、ベートーヴェンやモーツァルトを聴きたいと思っているはずです。マエストロが「やめるのヤーメタ!」と言っても、世間は良かったと笑い飛ばしてくれるはず。再考の余地はありませんか? やり残したことなどはないのでしょうか?

ない。やりたいことは全部やった。

井上道義自ら企画し、出演を重ねた「マチネシンフォニー」より(2022.5 ザ・シンフォニーホール) (c)飯島隆

井上道義自ら企画し、出演を重ねた「マチネシンフォニー」より(2022.5 ザ・シンフォニーホール) (c)飯島隆

取材・文=磯島浩彰