ハンバーガー、フライドチキン、牛丼、うどんなど様々な食品がクルマに乗りながら購入できるドライブスルー。このサービスを日本で始めた企業はどこだったのでしょうか。

え!? そんなのドライブスルーで売ってどうするの?

 クルマから降りずにモノを買うことができるドライブスルーが発達し、ハンバーガーをはじめ、フライドチキン、牛丼、うどんなど様々な食品が購入できるようになりました。では、クルマに乗ったまま商品を受け取るというこのシステム、日本では一体いつどのように生まれたのでしょうか。

 ドライブスルーの発祥はもちろん、世界で一番始めにモータリゼーションが起こったアメリカです。20世紀初頭からクルマ社会が発展していた同国では、戦前から飲食店やスーパーマーケットでドライブスルーが行われていたようです。

 この流れが日本に訪れたのは、実は戦後もしばらく経ってからでした。有力な説とされているのが、都内の日本橋室町にある老舗の海苔屋「山本海苔店」と、新潟県のソウルフード「イタリアン」を提供する長岡市発祥のチェーン「フレンド」です。

 日本橋室町にある老舗の海苔屋、山本海苔店では1965年、当時ギフトに力を入れ始めた百貨店に対抗するため、クルマに乗ったまま買い物ができるサービスを思いつきます。

 その方法は店内の駐車場に海苔の販売できるスペースを置いて、そのままクルマで、横づけしたまま購入できるというシステムでした。

 このサービスは当時、百貨店の閉店時間が18時だったなか、正月以外は年中無休で20時までという、1960年代後半としては異例の長時間営業をしていたことで人気を博しました。

 その後もこの駐車場での海苔販売サービスは長く続くことになりますが、1991年、同店の新館建設にともない終了しました。

「アメリカ流のシステムが必要」と新潟のお店が設置!

 もうひとつの国内ドライブスルー発祥の店といわれる「フレンド」は、2024年現在も新潟県長岡市を中心に展開しているファーストフードチェーンで、新潟県民のソウルフードともいわれる「イタリアン」を提供する店として、新潟市の「みかづき」と並び有名です。

 フレンドの創業者である木村政雄さんは、アメリカに研修旅行へ行った際、同地のファーストフードチェーンで取り入れられていたドライブスルーを見てカルチャーショックを受けたことが、誕生の大きなきっかけになっているそうです。

 木村さんは現地のドライブスルーを見て「クルマ社会の発展のため、日本にも必要だ」と確信。1976年に長岡市の喜多町店に初めてドライブスルーを設置しました。

 日本国内の飲食店で明確に、「クルマに乗りながら買い物ができる店」を意識したのはフレンドが初といわれており、飲食店業界では同チェーンを“ドラブスルーの元祖”として推す声も大きいです。しかし、チェーンを展開している株式会社フレンド本部は、「かなり早い時期にドライブスルーを始めた」という点については認めているものの、自社が元祖であるという明言はしていません。

全国的に普及させたのはあの有名チェーン

 国内に大規模かつ広域にドライブスルーを日本国内にもたらしたのは、世界的なファーストフードチェーンである「マクドナルド」です。

 マクドナルドは、日本初の本格ドライブスルー店舗を1977年10月に環八高井戸店(東京都杉並区)に設置したと公式ホームページで紹介しています。マクドナルドの国内進出が1971年ですので、比較的早くドライブスルー店舗を開始したことになります。

 この環八高井戸店は残念ながら1991年に閉店となっていますが、開店当時は高速道路の入り口に近い店としてかなりの賑わいを見せていました。さらに当時の新聞では、新店舗がドライブスルー店であることを強調する広告戦略も展開。日本国内に「ドライブスルー」という言葉を定着させる一因にもなります。

 2024年現在では、「ドライブスルーATM」や郵便局の「年賀状引受ドライブスルー」、コロナ禍では「ドライブスルー図書館」なども登場しました。今後もドライブスルーは発展・拡張の可能性を秘めています。