平安時代の文化といえば『源氏物語』や『枕草子』で描かれるよな、華やかで優美なイメージがあります。貴族文化全盛の時代ということもあり、これらは大きく見れば間違っていないでしょう。ただし、千年という時間の差はあっても、当時の人たちが生きたのは今の私たちと同じ日本、つまり彼らにも私たちと似たような日常生活があったはずです。

 では実際に平安時代の人たちはどのような日常を送っていたのでしょうか。そんな素朴な疑問に応えてくれる本が今回ご紹介する『あたらしい平安文化の教科書 平安王朝文学期の文化がビジュアルで楽しくわかる、リアルな暮らしと風俗』です。著者は謎の平安貴族「承香院」を名乗る平安時代・周辺文化実践研究家です。書籍では平安時代の暮らしを軸に当時の文化や風俗を再現ビジュアルを豊富に用いながら解説します。

 肩書きに「実践」とあるように、平安時代中期の装束を自身で縫って着るなど、承香院氏はあらゆるものを自作、復元します。このように、当時を再現して体感するという方法でリアルな平安時代を探究するのが、承香院氏の研究スタイルです。X(旧twitter)でも、自作の装束や楽器などを用いて当時の生活を実践した写真などが随時アップされています。そのマニアックさと本格的なこだわりの様子は雑誌でも取り上げられています。

●千年前の絵巻物を再現して得られるもの

 書籍で目を引くのは、まず写真やイラストといったビジュアル解説がたいへん詳しい点です。パラパラとめくるだけでも楽しいのですが、当時の装束がどのようになっていたのか、形、着方、色や文様の種類も細かく解説されています。また、当時描かれた絵巻物のワンシーンを再現して撮影した写真も、たいへん色鮮やかです。

 たとえば当時貴族の一般的な移動手段であった牛車(ぎっしゃ)に関しては、種類、場所の名前、どのように乗っていたか、ということがまず解説されます。その後、筆者のコラム部分で実際に乗った体験記までが詳しく記されています。加えて本書中盤では「年中行事絵巻」に描かれている牛車のある情景の一部分を再現した様子も掲載され、詳細にレポートされます。

 実際の牛車は非常に不安定で、「手形」という安全グリップをしっかり握るそうです。このとき、平安時代の装束では「源氏物語絵巻」に描かれたものと全く同じように袖が御簾の外に飛び出すことを発見する承香院氏。このことについて、「実践することのすばらしさを感じた出来事でした」といいます。千年前の一場面をリアルに再現できたということで、そのときの喜ぶは想像に難くありません。

●貴族の生活はだいぶ大らかだった

 第二章「承香院絵巻―ビジュアルで見る平安文化―」では、絵巻物に登場する当時のさまざまな情景が再現された写真が掲載されています。たとえば、当時の装束を着て走る下級官人とか、蹴鞠の場面などがあるほか、「源氏物語絵巻」の名場面の一つ「夕霧」の場面を再現したものがあります。

 ここで描かれているのは、夕霧の正妻である雲居雁(くもいのかり)が夕霧の読んでいる手紙を別の女性からのラブレターだと思って奪い取ってしまう場面です。ここでの夕霧は「白い袙(あこめ=うちかけ)に夏の直衣を引きかけた姿、雲居雁は生絹の単衣を肌の上に一枚羽織っているだけです。

 また「扇面古写経下絵」という絵では「釣殿(池に臨んで作られた建物)」に男女が添臥しています。この場面では男女ともに素肌に単衣をかけただけの様子です。これも貴族たちの私的日常の風景で、エアコンも扇風機もない当時は工夫を凝らして涼をとっていたとのことです。これらから、当時は肌の露出に対する意識が大らかだったり、きちんと決められている場所以外では柔軟に装束を調節したりといったような、当時のどことなく優美でゆとりを感じる貴族の姿が伝わってきます。

●再現してみることで初めてわかることがある

 承香院氏は「再現してみる」ことについて、アニメ映画監督の片渕須直氏との対談の中で「学術的には少し乱暴な言い方かもしれませんが、インスピレーションを感じたり、惹かれたりするものに対して経験や記憶をもとにした直感的なものも排除せずに仮説を立てる作業を行なっている」と述べています。これは、学術的に確実な根拠だけで仮説を組み立てるのではなく、現代を生きる自身の主観を入れて考える、ということかと思われます。

 さらに承香院氏は、平安時代は本当はポップでかわいいともいいます。現存する絵巻物は時間を経てくすんだ色合いになっているわけですが、当時の顔料の元の色などを参考にして再現すると頭で想像していたものより、さらにポップでかわいらしいデザインだったりするそうです。こういった気づきは、実際に再現してみることで初めてわかることで、資料だけからはなかなか気づかないことかもしれません。

●平安時代の人間のリアルを感じ取って伝える本

 同じく片渕氏との対談部分では、「平安時代にその場所を同じように重力を感じながら登ったりしていた人が確実にいたということのリアル」ということが熱く語られています。また、本書の「はじめに」では、この本を書いた目的として「彼らがそこで確かに感じた感覚や聞いた音、目にした色彩、それが少しでも視覚的に、そしてもっとリアルに感じられる本があったらいいな、という気持ちで本書を制作しました」といいます。これらの言葉の背景にあるのは、過去を生きた人たちは私たちとそんなに変わらないのではないか、という感覚ではないでしょうか。

 そして、時代を超えて、平安時代の人たちと対話しようとしているという気もします。同じ服を着て同じ道具を使い、同じところに立ち同じ格好をしてみることによって、そうだったのか、こんな気持ちだったのか、こんな感触だったのか、と感覚や感触、気持ちを総動員して彼らに寄り添う。そうして見えてくる彼らとのつながりをもとに、仮説や推理をより確かなものにしていきます。

 この推理や過去との対話の現場をまとめたものが本書だといえるのではないでしょうか。ぜひ本書を手に取って開いてみてください。千年前の日本を生きた人たちが、現実の私たちと同じ人間であったことがありありと見えてくるはずです。

<参考文献>
『あたらしい平安文化の教科書 平安王朝文学期の文化がビジュアルで楽しくわかる、リアルな暮らしと風俗』(承香院著、翔泳社)
https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798182599

<参考サイト>
承香院氏のX(旧twitter)
https://twitter.com/jyoukouin