◆「個人的な理由」で姿を消した渡邊…1カ月半続いた欠場の内幕

 4月20日(現地時間19日)、メンフィス・グリズリーズの渡邊雄太がInstagramでライブ配信を実施。グリズリーズへの移籍後に「個人的な理由」で姿を消していたレギュラーシーズン終盤の詳細や、来シーズンに向けた意気込みについて口を開いた。

 配信の冒頭では、現時点での契約状況について説明した渡邊。グリズリーズに残留するかどうかの権利(プレーヤーオプション)を保有しているが、来シーズンは日本でプレーする道を選んだと発表した。「一番大きな理由は、シンプルにバスケットがしたいというところです」。

「アメリカに来てから11年間も経ちますけど、僕のことを昔から応援してくださっている人からすれば、キャリアが順風満帆ではなかったというのは見て分かると思います。そこで自分が何をしたいかを考えたときに、バスケットをしたい、練習してきたことをコートで出したいというのが大きいです」

 渡邊は「本契約を勝ち取る」、そして「20代ではどんな苦労をしてでもアメリカにこだわる」という目標を持ち続け、その2つを達成できたとも説明。今年の10月には30歳を迎えるなかで、「日本もすごくレベルが高くなっているので、自分がどれだけやれるかを模索して、これからは自分のやりたいバスケットをしていきたい」と心境を明かした。

 続けて、右手首の負傷と個人的な理由でコートから離れていた空白の1カ月半について、渡邊は経緯を明かす。キャリアを通じて本契約を勝ち取るまでに苦労を重ねた日本代表のエースは、「毎試合、毎練習がアピール合戦。まともな精神状態でプレーできている時期は少なかった」とこれまでを振り返り、そのなかで昨年夏に交わしたフェニックス・サンズとの“完全保証”の2年契約は、これ以上ない喜びだったようだ。

 サンズでは本調子を発揮できずにローテーションから外れることもあったが、リーグ制覇のため自分にできることを精一杯こなしていた渡邊。そのなかで起きた2月のトレードには「ビジネスの世界で当たり前にあること。ただ、自分がやっとつかんだ2年契約でのトレードだったのでショックは大きかった」と語った。

◆古巣での再起に燃えるも、障壁となった「メンタルの問題」

 それでも古巣のグリズリーズで再スタートに臨んだ渡邊は、移籍直後のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で11得点の活躍。試合こそ敗れてしまったがバスケットの楽しさを再確認し、次のゲームにも備えていたが、2日後の試合当日に開かれたチームミーティング直前にコーチから欠場を言い渡される。

「その一言が、自分のなかで効いた。(前の試合で)それなりにやれたかなというのと、『次の試合も頑張る』と気合を入れていたので。今までも(試合に出ないことは)あったのに、そこできついなと思ってしまったんです。トレード直後でメンフィスのホテルに泊まってたんですけど、自分でも引くぐらい泣いて」

 その出来事をきっかけに、NBAから離れ日本でプレーすることを考えるようになったと語る渡邊。残りの試合は「自分が活躍できてもできなくても、1分1秒を楽しんで終わろう」と心に決めて次のゲームに臨んだが、コートに立っても一切力の入らない状態に陥ってしまったという。

「『もう来シーズンから日本に帰るんだから、最後楽しんでやりな』と自分に言ってしまったので、そのフタが取れて今までのストレスや疲労が一気にきた、みたいな感じになりました。それがオールスターの直前で、(オールスターブレイクが)明けてからも症状は一切変わらず。普通に練習はできるのに、体が言うことを聞かない状態でした」

 危機感を感じた渡邊はチームスタッフに相談し、球団からも手厚いサポートを受けられた模様。最初は右手首の治療にあたり、その後もメンタル面での症状が改善しなかったため、「個人的な理由」での欠場にステータスが変更されたという。

「僕はグリズリーズに感謝しかないです。『試合に出ない』という一言がきっかけになっただけで、僕の限界はもっと前にあったんだと思いますし、それでも20代は逃げないと決めてたので。終わり方はこうなってしまいましたけど、自分の夢に向かって突っ走れたかなと思います」

 欠場中も練習には参加し、トレーニングに励んでいた渡邊はパリオリンピック出場を明言。NBAでのプレーを断念してから目標に掲げた今夏のビッグイベントに向け、一連の流れを説明するとともに意気込んだ。

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