「ぶりっ子」「おバカ」とキャラづけされるなかで感じた、自分の存在や違和感。「求められたことにどう応えるか」「働き方にどう向き合うか」、生き方を問い直した神戸蘭子さんの姿がありました。(全4回中の2回)

芸能界で「結果を出す」気負いはなかった

── 読者モデルから芸能界入りして、テレビ出演も増えたときはどんな気持ちでしたか?

神戸さん:「私が芸能界に!?」と信じられなかったです。友だちにも「テレビに出るようなタイプじゃないのに、意外だね」とびっくりされました。

最初はすごく不安で緊張しました。人前で話すのも苦手だし、芸能界って怖いところというイメージもあったんです。

でも、だんだん慣れてくると、当たり前かもしれないですが、スタッフさんも出演者の方もふつうに自分の仕事をしている世界なんだなと感じました。

芸能界で過ごす毎日は、私にとっては初めてのことばかりでした。おもしろい芸人さんや、すごくキレイな人やかカッコいい人がたくさんいて。食べたことがないものが食べられたり、ふつうに生活していたら経験できないこともできたりして、刺激的で楽しいこともたくさんありました。

とはいえ、最初から「自分は芸能界で長く仕事をするわけではないだろう」と考えてはいました。

── 冷静に自己分析されていたのですね。なぜ、そう考えていたのでしょうか?

神戸さん:なんでだろう…。もともと芸能界入りするとは夢にも思っていなかったのは大きいです。それに、テレビ出演をするようになったのが20代後半で、遅いスタートだった自覚もありました。

会社員経験もあり、他の世界も知っていたから「絶対に芸能界で結果を出さなくては!」という気負いはなかったんです。もちろん、芸能界に入ったからには、仕事として一生懸命取り組もうと、毎日頑張っていました。

「ぶりっ子」のキャラづけよりも苦しかったこと

── 神戸さんというと、「ぶりっ子キャラ」といったイメージがありました。実際のご自分とのギャップは感じましたか?

神戸さん:ギャップはすごくありました。テレビに出るまでぶりっ子と言われたことはなかったんですが、「あ、私の高めの声と話し方だと、そう思われるんだな」と感じました。

母に「どうして私、こんな声なの?」とぶつけたことがあります。でも、「あれっ、そういえば母も同じような声をしている…」と気づきました(笑)。

でも、ぶりっ子というキャラづけは、スタッフさんがよかれと思ってしてくれた部分もあると思うんです。雑誌の読者モデルをしていましたが、テレビを観ている人は、私が誰かを知らない人ばかりです。だから、「神戸蘭子はぶりっ子キャラ」と、印象づけようとしてくれたんだと思います。

実際に、テレビで自分が話している姿を見て、「たしかにぶりっ子っぽく見えるな」と納得したところもありました。身近な友だちは本当の私を理解してくれていたし、視聴者の方が「あの子はぶりっ子」と思ったとしても、そう見られるのも仕事の一環だと割りきっていました。

でも、ぶりっ子よりも抵抗があったのは、「おバカキャラ」として扱われることでした。

── たしかに当時はおバカキャラが流行っていましたね。

神戸さん:『クイズ!ヘキサゴン』に出演した時におバカキャラのイメージがついたのですが、番組を観たことがない人からは本当におバカと思われたかもしれません。

でも、学生時代は勉強にかなり力を入れていて、成績もけっこうよかったんです。だから、おバカキャラとされるのは、悔しい気持ちはありました。

── そのギャップはなかなか受け入れるのは難しいと思います。

神戸さん:ただ、これは私の実力不足もあったと思います。テレビだと「自分はこういうキャラです」と積極的にアピールして、視聴者の方や共演者の方に存在を知ってもらわないといけません。

本当は、知的で的確なコメントをしたかったのですが、どうしても話すのが苦手でうまくアピールできなかったし、求められている役割とは違っていたと思います。

ずっとバレエも習っていたから、雑誌などでモデルとして被写体になるのは好きで、自分を表現しやすかったのですが、話すことへの苦手意識もあり、テレビは向いてない気がしていました。

活躍するなかでの決断「働き方と向き合いました」

── ご自身では「テレビは苦手だった」と言われますが、当時は引っ張りだこの人気者だったと思います。それなのに30歳でスパッと事務所も退所されたんですね。

神戸さん:もともとテレビの仕事を始めたときに、島田紳助さんから「2年は頑張りなさい」と言われたんです。だから自分のなかで芸能活動を2年続けることが目標になっていました。

ありがたいことに、仕事もたくさんいただいていたんですが、心身ともにムリが生じてきて…。あるとき、地方で開催されたファッションショーに出演後、すごく具合が悪くなって病院に行ったんです。

でも、東京に戻ってからもスケジュールが詰まっていたから、病院に通いながらなんとか仕事をする感じで。そのときに、ふと「もう30歳も近いのに、こんなにムリした働き方でいいのかな?」と感じてしまって…。

気づいたら芸能界に入って約3年経っていて、「2年続ける」という最初の目標も達成していたんです。ちょうど事務所の契約更新のタイミングだったから、そこで「辞めます」と伝えました。

── 周囲からは引き留められたのではないでしょうか?

神戸さん:はい。「もったいないよ」とすごく引き留められました。でも、そのときの自分が一番求めているのは休息だと思って、契約終了することにしました。

先のことはあんまり考えていませんでした。でも、辞めたときはすごく心が軽くなって開放感がありました。心身の健康のためにはムリをしすぎず、いったんリセットすることも大事だと痛感しましたね。

PROFILE 神戸蘭子さん

かんべ・らんこ。1982年生まれ、モデル、タレント。女性ファッション誌『JJ』のSサイズモデルとして雑誌やテレビ番組などで活躍。2014年結婚、現在2児の母親。デニムリメイクのハンドメイドブランド「CIEL BONBON」を設立。2023年ディレクターを務めるベビー服ブランド「Baskin Folks」、フォトスタジオ「Studio Capture Free をプロデュースし、2023年にオープン。

取材・文/齋田多恵 写真提供/神戸蘭子