2023年11月、サンミュージックプロダクションの代表取締役社長に就任した、ブッチャーブラザーズ・リッキーこと岡博之氏(65)。“東京お笑い界”に幅広い人脈を持ち、多くの芸人の運命を変えた岡社長が、誰もが知る人気芸人の“ブレイク前夜”を明かす。【華川富士也/ライター】(前・中・後編のうち「中編」)

前編【「“たけし軍団”結成のきっかけは僕らが作ったようなもの」 サンミュージック社長に就任した「ブッチャーブラザーズ・リッキー」が明かす“東京芸人”秘話】からの続き

主任講師として錚々たる芸人を発掘

 岡社長と相方のぶっちゃあは1981年に「ブッチャーブラザーズ」を結成した。だが、所属していたサンミュージックが84年にお笑い部門を閉鎖。2人はプロダクション人力舎に移籍することになった。

 人力舎に入って8年経った1992年のこと。2人は玉川善治社長(当時)から「吉本のようなお笑い学校を作りたい」と持ちかけられた。数々の人気芸人を輩出することになる「スクールJCA」の始まりだ。

「吉本さんは1982年に大阪でNSCを立ち上げ、一期からダウンタウンが出るなど大成功していました。ただまだ東京校は作ってなかったんですね(1995年に開設)。関東初の芸人学校を開設し、校長にと話をいただいたんですが、まだまだ現役としてやっていきたかったのでお断りし、主任講師を務めることになりました。1期から6期まで見ました」

 JCAは1期生から児嶋一哉(アンジャッシュ)、2期生から飯塚悟志(東京03)、渡部建(アンジャッシュ)、ダンディ坂野、ユリオカ超特Q、3期生からアンタッチャブル(柴田英嗣と山崎弘也)、豊本明長(東京03)、4期生から北陽(虻川美穂子と伊藤さおり)、5期生からドランクドラゴン(塚地武雅と鈴木拓)、6期生から今野浩喜(元キングオブコメディ)などなど、人気芸人を次々と生み出していった。

 岡社長によれば、講師をやりながら強烈な印象を受けた生徒が2人いたという。

「プレッシャーを感じるぐらいまじめでした(笑)」

「こいつは他と違う!と思ったのがザキヤマこと山崎弘也と塚地武雅です。まずザキヤマ、彼はめちゃくちゃまじめだったんです。僕が担当していたネタ授業は皆勤。多くの生徒が次第に行かなくなる発声練習などの授業もまじめに出席していました。授業中はいつも正面真ん中にいて、前のめりで、食い入るように話を聞いていました。“学ぼう”という気持ちが溢れ出てたんですよ。しょうもないことを言うと“じー”っと見てるしね。教えながらプレッシャーを感じるぐらいまじめでした(笑)」

 今やすっかり騒々しいほどのハイテンション芸が定着しているザキヤマだが、学校時代は全くキャラが違ったのだ。

 相方の柴田はどうだったのか?

「授業中は後ろの方でハスに構えていた印象です。今でこそ早口でまくし立てるけど、最初はそこまでの技術はなくて、“僕、大丈夫ですか”と不安そうにしてました。でも光るものはありましたし、彼は努力の人なんです。よく若い子に“最初はダメでも努力すれば”という実例として、柴田がいかに頑張ってきたかを話しました。色々ありましたが、コンビが復活して良かったですよ」

 もうひとりの強い印象を受けた生徒、塚地はどうだったのか。

「鈴木はあかん!」周囲はコンビ結成に大反対

「塚地も前の方で真剣に授業を聞いてるタイプでした。で、“あー”“うんうん”とうなずいてるんですね。講義内容と頭の中のお笑いデータを合致させて、“あれや!”“なるほど”と楽しんでる感じです。本当にお笑いが好きなんやと伝わって来ました。授業中に前に出して即興でネタをやらしてもちゃんと出来ますし、スクール時代からお笑いの引き出しをいっぱい持っていて、本当に優秀な生徒でした」

“出来る生徒”として、塚地は事務所にも将来を嘱望されていた。ところが、あることで事務所社長や岡社長らを大いに困惑させることになる。

「玉川社長、ブッチャーブラザーズ、事務所の主要メンバーで面談した時の話です。面談ではこの先どのように活動したいかを聞き、アドバイスやサポートをしていました。期待の新人ですから、自ずと力も入りますよね。塚地を呼んで今後のビジョンを聞いたら、“鈴木拓とコンビを組みたい”と。それを聞いた僕らはみんな倒れそうになりながら“それはあかん!”と大反対しました。僕らの当時の鈴木への認識は“向上心は特に見えず、1年が終わっても進歩はない”といったもの。僕らは他の人と組んだ方がええんとちゃうかと促したのですが、塚地は“彼がパートナーなら僕が思い描くことができます。やらせて下さい!”と頑として譲らなかった。塚地には“成功”が見えていたんでしょうね。あの決断を塚地は今、自分でどう評価しているのか、一度聞いてみたいですね」

 実際に塚地と鈴木のコンビは人気になった。鈴木は“クズキャラ”の時期を経て、釣りや格闘技に活路を見つけている。

後編【「カンニング竹山」“キレ芸”誕生のウラに大御所“毒舌タレント”…「サンミュージック社長」が明かす“クビ寸前”からの大ブレイク秘話】に続く

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部