東京都内で、特定外来生物のアライグマの目撃や被害が急増している。「屋根裏に住み着いた」など、23区内の住民からの相談は、この8年で40倍以上になった。アライグマは農作物への被害だけでなく、有効な治療薬がなく、死亡率が高い感染症を引き起こすウイルスを媒介するおそれがある。しかし、「自治体も住民も危機感がない」と、専門家は警鐘を鳴らしている。
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東京・足立区の親類の家に住み始めた男子大学生はある日、押入れの奥の壁が破られ、穴が空いているのを見つけた。
なにげなく穴をのぞき込んだ学生が見たのは、暗闇の中で光る、正体不明の動物の「目」だった。
驚いた学生は区役所に相談。仕掛けたわなで捕らえられたのは、2頭のアライグマだった。
足立区には2022年度、アライグマについての相談が48件寄せられ、その半数近くが家屋などへの侵入に関するものだった。3〜5月はアライグマの繁殖期で、住宅の壁を破って屋根裏などに潜り込むことが多いのだという。
「区内全域で、目撃情報が増加しております。寄生虫や細菌を保有していることがあります」
「天井裏などに棲みつくことで、糞尿による悪臭の発生や建物の汚損等といった被害を受ける場合があります」
「珍しいから、かわいいからといってむやみに近づいて触ろうとしたり、エサをあげたりしないようにしましょう」
「個人の住宅等で、実際に被害を受けているかたを対象に、箱わなを設置して、捕獲処分を行っています」
都内の各区役所は、ウェブサイトにアライグマへの注意喚起が掲載。アライグマの生態、タヌキやハクビシンとの見分け方などを紹介している区もある。
■テレビアニメで人気になったが…
都によると、20年前まではゼロだった捕獲数は05年度から増加。現在は千代田区などの都心部も含め、都内のほぼ全域で生息が確認されている。21年度の捕獲数は1223頭になった。23区内の住民から寄せられた相談件数は13年度には9件しかなかったが、21年度には400件と40倍以上に増えた。
生息調査が行われていないため詳細は不明だが、区部では比較的農業が盛んな練馬区や世田谷区、大田区など、環状8号線に沿ったエリアにアライグマが出没することが多いという。
「夜に活動するアライグマが日中に人目につくようになったら、もう相当な数が生息していると考えていい」
と話すのは、兵庫県森林動物研究センターの横山真弓研究部長。アライグマはもともと北米原産だが、国内で最も数を増やしているのが関西地方だ。
アライグマは1970年代に放送されたテレビアニメ「あらいぐまラスカル」で人気となり、見た目の可愛らしさもあって、ペットとして大量に輸入された。
ところが、ブームが下火になると、業者や飼い主に都市近郊の野山などに捨てられ、野生化。関西地方では2000年ごろから急増し、兵庫県では毎年5千万円ほどの農作物被害が出ている。
05年に特定外来生物に指定され、兵庫県内では21年度に8千頭以上が捕獲されたが、それでも増加に歯止めがかかっていない状況だという。
そして、アライグマをめぐっては、新たな懸念も出てきている。
アライグマにつくマダニが媒介する「SFTS」(重症熱性血小板減少症候群)という感染症だ。
■アライグマを警戒する理由
SFTSは、原因となるウイルスを持ったマダニに吸血されることで感染する病気だ。国内では海外渡航歴のない人の感染が13年に初めて確認され、今年1月末までに939の症例が報告されている。
発熱やおう吐、下痢などの症状が現れ、重症化すると肝腎障害や多臓器不全を起こして死に至ることもある。有効な薬やワクチンはなく、死亡率は20%にものぼる。
マダニは、イノシシやシカ、タヌキなど、さまざまな動物から動物に移り、SFTSや日本紅斑熱を広める。そのなかでもアライグマを特に警戒するのには理由がある。
「日本に定着したアライグマは、人家の屋根裏で子育てをするという非常に大胆な行動が確認されています。つまり、人間のすぐ近くにマダニを運ぶという点で、アライグマが一番リスクが高い動物だと考えています」(横山さん)
アライグマの大きさはタヌキとそれほど変わらないが、筋肉が非常に発達しており、噛む力や手足の力がとても強い。そのため、人家に少しでも隙間があると、そこを破壊して、内部に侵入してしまうのだ。
■徐々に東へ広がるSFTS
そして、アライグマはSFTSウイルスへの抗体を持つことができ、感染しても死ににくい。つまり、SFTSウイルスにとってアライグマは、格好の「運び屋」なのだ。
実際、SFTSウイルスに感染したアライグマは、近年増えていると見られている。
特定外来生物の駆除で捕獲したアライグマの抗体検査を実施し、SFTSの拡大状況を調べてきた国立感染症研究所獣医科学部の前田健部長によると、西日本のある地域では10年ごろから、ウイルスに感染したことがある「陽性」のアライグマが見つかり始めた。そして、13年度には陽性率が24%に上昇し、アライグマ経由かは不明だが、ウイルスに感染した人も見つかった。そして18年度にはアライグマの陽性率が55.8%にまで増加したという。
まだ東日本では、ウイルス陽性のアライグマは見つかっていない。しかし、SFTSと診断された患者は、西日本から東日本に広がりつつある。
■「問題化してからでは遅い」と専門家
拡大している「脅威」。しかし、公益社団法人・東京都ペストコントロール協会の会長で、アライグマの駆除を手掛ける「ヨシダ消毒」(練馬区)の清水一郎代表取締役は、
「アライグマを防除しなければならない最大の理由は感染症対策です。ところが、一般の人だけでなく、自治体も危機感がほとんどない」
と嘆く。
ヨシダ消毒は、新型コロナの流行初期、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の感染者搬送車や屋形船の消毒などにあたった会社だ。
わなを仕掛けて捕獲しているものの、繁殖力が上回ってなかなか数が減らない。そんななかでアライグマを減らす最も確実な方法は、手に入れられるえさを減らすことだという。
23区のアライグマが何を食べているか、清水さんがふんの中身を調べたところ、結果は意外なものだった。
「生ごみをあさったりもしますが、春から秋にかけては主に農作物や庭に植えられた果実を食べています。えさの乏しい冬の間はほぼイチョウの実、ギンナンだけを食べていたんです」
「東京都の木」であるイチョウは、都内のいたるところに植えられている。道路に落ちたギンナンは拾われたり、掃除されたりしてなくなるが、根元の土の上に落ちた実はそのまま残っていることが多く、これがアライグマのえさになるのだという。
清水さんは、こう提案する。
「クマ対策と同じで、庭のカキや柑橘類など、食べない果実はそのまま残さない。ギンナンもすべて掃除する。シンプルですが、アライグマを減らす有効な対策だと思います」
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)