サッカーの名門・清水東高監督として、1982年度の全国高校選手権で初優勝に導いた勝沢要(かなめ)さんが5日、静岡市内で亡くなった。85歳だった。関係者によると、最近は病気で療養しており、数日前に体調が悪化したという。通夜は8日午後6時から、葬儀は9日午前10時から、いずれも「あいネットホール江尻台」(静岡市清水区江尻台1の1)で営まれる。

 勝沢さんは66年に母校の指揮官となってから、87年に県教育委員会に異動するまでの21年間で選手権は優勝1度と準優勝3度、全国高校総体は3度優勝。「文武両道」を信念に指導を続け、「清水三羽ガラス」と呼ばれた長谷川健太氏(58)=J1名古屋監督=、大榎克己氏(59)=菊川青葉台医療クリニック勤務=、堀池巧氏(58)を始め、武田修宏氏(56)、反町康治氏(60)=J2清水GM=ら数多くのJリーガーを育てた。その後は熱海高、掛川西高、藤枝明誠高の校長などを歴任し、清水の顧問も務めた。

 選手権Vメンバーの大榎氏は前日(4日)、危篤の連絡を受けていた。「残念です。清水東が勝てないと言われた時期から苦労され、優勝までもっていった。(勝沢さんの)努力が実ったんだと思います」と故人をしのんだ。

 中島一馬さん(選手権優勝メンバーで現サッカー部OB会長)「勝沢先生はサッカーの指導だけでなく、普段のあいさつに厳しかったり、勉強だけの合宿もしたり、すごく人間形成を大事にされる方でした」