被爆後の絶望を詩に読み原爆の非人道性を訴え続けた詩人・福田須磨子さんが亡くなって2日で50年です。長崎市で没後50年の集いが開かれました。

NBC
NBC

《 原子爆弾は23才の娘の柔肌に襲いかかり 父や母の命をも奪った 》
ドキュメンタリー「われなお生きてあり~福田須磨子の生涯」(1973年)より

NBC

福田須磨子さんは、23歳の時、爆心地から1.8キロで被爆し、50年前の1974年4月2日に52歳で亡くなりました。

NBC

2日、長崎市で開かれた没後50年の集いにはおよそ70人の市民が参加──

NBC

死去の前年に放送されたNBC制作のドキュメンタリー「われなお生きてあり」が上映されたほか、講演や詩の朗読でその人生を振り返りました。

NBC

「われなお生きてあり」制作スタッフ 浜辺成弘さん:
「(須磨子さんから)なんで撮るとね?という問いかけもあった。赤裸々に姿を惜しみなくカメラの前に出してくれました」

NBC

《 お前の眼に私は
お化けのように映るのだろう

私がお化けのようにならされた
そんな過程を
いくら説明したって
お前には判りはしない 》福田須磨子さん「童女へ」より

NBC

両親と姉を失った孤独、ただれて曲がっていく手足、高熱が続いて働けず貧乏の中にあった血のにじむような苦痛を須磨子さんは飾りのない言葉で世に訴えました。

NBC
NBC

長崎大学環境科学部 友澤悠季准教授:
「書く、記す、記録する、そういうことに人生の最後の力を振り絞っていた福田須磨子さんだったなと」

NBC
NBC

核兵器がもたらした苦しみを「反原爆」という思いに昇華させた福田須磨子さん。その詩は没後50年たった今も強烈に核兵器の非人道性を訴え続けています。