レベルアップを求めて昨季渡ったポーランドでは世界のトップ選手と対峙し、悔しさを味わったが、常に強くなるための準備と努力を惜しまなかった。今夏オリンピックが開催されるパリの地で、宮浦健人は熱い闘志を胸に秘め、コートに立っている。
(初出:発売中のNumber1093号[五輪開催地で誓った決意]宮浦健人「成長しないと意味がない。そう自分を追い込んだ」より)

パリで最も人気のあるバレーボール選手

 7月に五輪が開催されるパリで、おそらく今、最も人気がある日本のバレーボール選手は彼だ。

「ケント、ミヤウラ!」

 フランスリーグで8位(3月18日現在)のパリ・バレー。チームの点取り屋であるオポジット、宮浦健人の名がコールされると大げさではなく会場中から大歓声が沸き起こる。試合後にそのままコートへなだれ込み、サインや写真撮影を求める観客に、最後まで囲まれているのも宮浦だ。

 ここまで14勝11敗。プレーオフ争いを繰り広げる中、宮浦がMVPに選ばれたのは実に9回。喝采が送られるのも当然なのだが、当の本人は浮かれることなく、むしろ謙虚に受け止めていた。

「自分の中ではもっともっとできるな、と思うし、やらなければいけない、という思いがあるんです。だからMVPをもらうことがあっても、常に反省があるし『こうすればよかった』と毎回思う。もっとパワーをつけるとか、高さを出すとか、もっともっと、成長しなきゃ、って」

海外1年目に味わったのは悔しさばかり

 海外生活は2年目。充実のシーズンを過ごしているが、最初からすべてうまくいっていたわけではない。むしろ今季初めてイタリアに渡った石川真佑が、難しさを感じながらも解放感を味わうのとは対照的。昨季、海外でのキャリアをスタートさせた宮浦が味わったのは悔しさばかりだった。

 所属したのはポーランド南西部にあるスタル・ニサ。「日本人もほぼ住んでいなかった」という場所で、宮浦の立ち位置は2番手のオポジット。そもそも海外移籍を決めたのは、早稲田大卒業後、ルーキーイヤーから活躍したジェイテクトへ西田有志が復帰することがきっかけになった。同じチームで西田と切磋琢磨する選択肢がなかったわけではないが、試合に出て評価を得たい。さらなる飛躍と成長を誓い東欧の地に渡ったが、現実を見ればリリーフサーバーや2枚替えでの投入がほとんど。出場機会が限られる中、宮浦は鬱積した思いに押しつぶされそうになったこともある、と明かす。

「何のために行ったのか。自問自答していたし、孤独感もやっぱり、ありました」

 それでも置かれた環境の中で、“いつか”のために努力を重ねる。悔しさを糧に強くなるのが宮浦という人でもある。試合に出ていても出ていなくても、エネルギーはすべて注ぐ、とばかりにゲーム形式の練習時には、メインのオポジットでチュニジア代表のワシム・ベンタラとガチンコでぶつかり合う。宮浦も「負けず嫌い」と自認するが、練習中から感情を露わにするベンタラは、さらに負けん気が強く気性も荒い。スパイクを決めれば大きなアクションで喜び、ブロックされればネットをつかんで悔しがる。圧倒的な攻撃力もさることながら、自分自身が結果を出してさらに上のステージへ行ってやる、とむき出しで戦うベンタラの姿に、宮浦は何度も打ちのめされた。

「毎日の練習で、いかに自分がダメか突き付けられるんです。今日はよかった、でも次の日は、ダメだ、と一喜一憂したし、感情的にもなる。快適さとは程遠い生活でした。でもこの経験ができているんだから、絶対成長して帰らないと行った意味がない。そう思って、自分を追い込んできました」

わずか1シーズンの海外生活で見せた変化

 これがプロの世界だ、と言わんばかりの姿を見せつけられるたび、クソ、と悔しさを噛みしめ矢印を自分に向ける。どうすれば渡り合えるのか。世界のトップで戦う選手と日々対峙した刺激を強くなるための活力に変えた。誰よりも努力するしかない、と大学時代から重視してきたウェイトトレーニングも、与えられるものだけでなく、トレーナーに相談してパワーやジャンプ力につながるメニューを追加した。一番早く体育館に来て、すべて終えて帰るのは一番最後。ただひたすら、強くなるための準備と努力を惜しまなかった。

 その成果が発揮されたのが、昨年のネーションズリーグ(VNL)だ。

文=田中夕子

photograph by Takahisa Hirano