立浪が見た監督・星野仙一
立浪は現役での22年間、ルーキーイヤーを含め、監督・星野仙一のもとで10年間プレーしている。
その星野も1986年オフ、ロッテから落合博満を獲得するために、当時のリリーフエースだった牛島和彦を含めた4選手とのトレードを断行した。またナゴヤ球場からナゴヤドーム(当時)に本拠地が移転したことで、その広さに対応するチーム作りのために、1997年オフに主砲・大豊泰昭、捕手・矢野燿大(あきひろ)を交換要員として、阪神から足と守備力に定評のあった関川浩一、久慈照嘉の2人を獲得、1999年の“ドーム初V”へと繋げている。
阪神監督時代も、4位に終わった就任1年目の2002年オフに自由契約、引退、トレードなどで24人の選手を入れ替えると、翌2003年にリーグ優勝を果たしている。
その「師」譲りともいえるドラスティックな“血の入れ替え”の象徴が、今回の中田翔獲得に表れていると言ってもいい。
「星野さんは、とにかく厳しかった。初めにやっぱり、いろいろな意味ですけど、厳しい指導者のもとでやらせてもらったのは、誰が監督をやっても、星野さんのもとでやっていれば、何も問題がないんじゃないですか。それくらい勝ちに対しての厳しさとか執念というものを、しっかり植えつけてもらいました。野球に取り組む姿勢もそうですし、勝負に対する貪欲さであったり、当時は毎日、ミーティングもあったりね。もう徹底して、意識づけというものを、知らず知らずのうちに植えつけてもらいました」
その「勝利への執念」を、中日に取り戻させたいのだ。
高木守道監督は「選手を大人扱い」
高木守道のもとでも、4年間のプレー経験がある。
1994年10月8日、勝った方が優勝という“史上最高の決戦”の巨人戦で、3点を追っての8回、三塁への高いバウンドの当たりを放った立浪は、一塁へヘッドスライディングして、左肩を脱臼。そのまま途中退場している。
その熱さが、今、中日には感じられない。
「高木さんになった時は、選手を大人扱いで一人前に見てくれたところはあるんですが、正直、チーム全体がちょっと緩みましたよね。高木さんは気を使って選手任せにしてくれたんですけど、星野さんから交代したらそりゃ緩みますよね、人間、誰でもね、ちょっとはね。ただやっぱり、プロ野球というのは、監督が誰であろうと、自分のことをしっかりやらないといけない。そういう意味では山田(久志)さんの時に4番を打たせてもらったりして、そこでもう一回、(心の)張りを与えてもらったというのはありましたね」
星野の退任後、その後を継いだ山田久志の監督1年目だった。
2002年7月、当時の助っ人、レオ・ゴメスが帰国。キューバの至宝と呼ばれたオマール・リナレスが途中入団したが、こちらも8月初旬から欠場。立浪は「4番」を務め、山田政権2年目の2003年7月5日には、球団史上3人目の通算2000本安打を達成、三塁手でゴールデングラブ賞は、遊撃、二塁に続き、史上初の3ポジションでの獲得となった。
落合監督のもとで経験した「はっきりした方針」
続く落合のもとで、立浪は“勉強”をさせてもらったという。
「落合さんの時は、最初はもうホントに、何も言われずに任せてもらった。プロだから結果を出せば当然ですよね。ただ、やっぱり衰えてきたり、結果が出なくなったりした時に代打に回された。もうほとんど口を利くこともなかったんですけど、控えを経験させてもらった。今でいうコミュニケーションも全くなく、ホントに力のある人が優遇されて、ダメな人は斬られていくという、はっきりした方針ですよね」
立浪の分類でいえば、高木、山田の今でいう“選手ファースト”の姿勢は共感しやすいだろう。ただ、そこに成績が伴わなければ、それは「甘さ」に繋がる。
中日が、どことなく今、緩く見えるのはその部分なのだろう。
最近、選手ファーストの時代になっている。でも…
立浪は、そこに師の“星野イズム”を注入しようとしているのだ。
「野球って最近、選手ファーストの時代、ってなって、WBCでもね。でも、あくまでも力のある選手が揃っているなら、それでいいと思うんですよ。自分が厳しいとか何とかだって言われますけど、自分なりに選手にはもちろん気を使ってやっています。ただやっぱり、甘いだけでは、今ドラゴンズはこんなに低迷しているのに、強くなるわけがないんですよ。やっぱり最低限の厳しさは、練習をやらせることも含めて、今のチームには必要だと思っています。負けるといろいろなことを言われるのは仕方ない。だけど、だから誰かのやり方を取り入れるとかそういうことじゃなくて、自分の考え、自分の方針がコロコロ変わってもいけないと思うんで、いいものはいい、悪いものは悪いとはっきり、選手には伝えるようにはしたいと思っています」
“頑固系”のリーダーが必要な状況
WBCでの栗山英樹、サッカー日本代表監督の森保一が典型例だろう。
選手をサポートする“伴走型”とでもいおうか。監督が前面に出てこない、むしろ部下たちと目線を合わせる“フラットな位置関係”は、かつてのカリスマ型とは対極にある。このスタイルが、部下からすれば「理想の上司」だと言われるのは当然だろう。
しかし、立浪の言う通り、そこに選手個々の高い技術レベルと自らを律する心、強い精神力が伴っていなければ、ただの“好き勝手”になる。
高木も、山田も、落合も、立浪を『個』として尊重してくれた。しかし、自主的に考えて動けるという、その一流レベルに達していないのであれば、星野のような“頑固系”のリーダーが、強引なくらいに引っ張り上げるような指導法だって、時には必要になる。
厳しさの裏にある立浪竜の覚悟
トップダウンの組織作り、つまり細かく、厳密に指示を送って部下を動かす「マイクロ・マネジメント」では、令和の新時代に通用しないといった外野の声は、立浪の耳にも聞こえている。しかし、そんなことは立浪だって百も承知なのだ。
今の中日の“チーム力”では、WBCで見せた「栗山式」は通用しない。個の力に任せられるだけのレベルに達していないという、立浪の見解にはうなずける部分が多い。
立浪は、嫌われても、それをやろうとしている。
それが、ドラゴンズの復権のためには不可欠な要素だからだ。
昨夏、SNS上で大きな話題を呼んだ「あのこと」も、このマネジメントスタイルに繋がってくる、一つの現象だったのかもしれない。<つづく>
文=喜瀬雅則
photograph by Sankei Shimbun