古都・京都を代表する城であり、世界遺産にも登録されている二条城ですが、じつは「二条城」はいくつもあったってご存知ですか? 今回は信長・秀吉・家康と天下人が替わるごとに築かれた、「二条城」の歴史とその秘密を紹介します。

京都を代表する観光地である二条城。修学旅行で訪れたことがあるという人も多いのでは? 千年王城である京都は古刹や旧跡に事欠きませんが、そんな中で二条城には二の丸御殿や唐門など江戸時代前期を代表する遺構が残り、存在感を発揮しています。

そんな二条城ですが、京都を散歩中に「二条城とはまったく違う場所で二条城跡の石碑を見つけた」という方はいらっしゃいませんか。または、歴史好きの方のなかには「本能寺の変で織田信長の嫡男・信忠が自刃したお城は二条城ではなかったっけ?」と記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。

じつは、当時の名称はそれぞれ異なるのですが、「二条城」とされる城(屋敷)は戦国時代から江戸時代初期までに4城もありました。戦国時代に二条城は場所をかえて3度も建て替えられていて、4城目が現在に残る二条城なのです。この4つの二条城はそれぞれ、

1)足利義昭の二条城=旧二条城
2)織田信長の二条城=二条御所
3)豊臣秀吉の二条城=妙顕寺城
4)徳川家康の二条城=現在の二条城

と位置づけることができます。それでは、二条城の変遷について振り返っていきましょう。