そして廃城処分になった城の中でも、紆余曲折を経て残された例も。上で古写真を紹介した備中松山城(岡山県)天守は、廃城令後に商家に売却されたものの、その後放置されて荒廃。しかし昭和に入って地元の人たちの努力で修復され、今や山城にある唯一の現存天守として多くの観光客が訪れています。

さて、明治10年前後には、存城処分となり軍用地として存続していても、老朽化によって取り壊しの危機を迎える城が続出しました。この時軍内部や庶民に、初めて城を文化財として残そうと考えた人たちが現れ、これによって姫路城、名古屋城、彦根城(滋賀県)、松本城(長野県)、松江城(島根県)などが取り壊しを免れています。

ところが、昭和4年(1929)の「国宝保存法」公布当初、国宝に指定される城は一つもありませんでした。まだ文化財として真っ先に保存すべきものとしては認識されていなかったようです。しかし翌5年、ついに名古屋城が、そして翌6年に姫路城、岡山城(岡山県)、広島城、福山城(広島県)、仙台城大手門が国宝(旧国宝)に指定されました。一国一城令と武家諸法度、そして廃城令を乗り越えて残った城たちは、やっとどうにか文化財として認められるようになったのです。

しかしこの後、城激減の3つ目の波・第二次世界大戦の空襲によって、広島城・和歌山城(和歌山県)・名古屋城・水戸城(茨城県)など7城もの城の天守、名古屋城本丸御殿、宇和島城(愛媛県)・大阪城・府内城(大分県)などの櫓や城門が焼失してしまったのです。

こうしてみると、現在残っている各地の城は、全国に城が林立していた時代からすれば、ほんの一部。でもそのすべてが、奇跡的にたくさんの危機を乗り越えた「超強運」の城なのです。ということで、改めて……もっともっとたくさんの人が、日本の城の魅力に気づいてくれますように……!

お城情報WEBメディア「城びと」
2021年2月初出の記事を再編・再掲載