新国立劇場の大規模プロジェクト『デカローグ 1〜10』は、全十篇から成る壮大な演劇シリーズで、公演期間も2024年4月〜7月と四カ月にもわたることで話題だ。その第一弾となる『デカローグ 1〜4』の、プログラムA(1話と3話を小川絵梨子が演出)・プログラムB(2話と4話を上村聡史が演出)の交互上演が、いよいよ2024年4月13日(土)より新国立劇場 小劇場にて開幕する。

ポーランド出身の世界的映画監督、クシシュトフ・キェシロフスキが1988年に発表した映像作品『デカローグ』は、旧約聖書の十戒をモチーフに1980年代のポーランド、ワルシャワのとある団地に住む人々を描いた連作集となっている。十篇の作品はそれぞれが独立した1時間前後の物語だが、登場人物は同じ団地の住人で互いに緩やかに繋がっていて、登場人物たちを見守る”天使“と呼ばれる存在(亀田佳明)が全篇に登場することによって、十篇で一つの壮大な物語にもなっていることが表されている。

ここで紹介するプログラムBの「デカローグ4」は、ある父と娘に関する物語で、十戒のうち「あなたの父母を敬え」をモチーフにしている。上村聡史の演出で、父・ミハウを近藤芳正、娘・アンカを夏子がそれぞれ演じる本作について、本番に向けて準備の進む稽古場を取材した。

(撮影:田中亜紀)

(撮影:田中亜紀)

この日は頭からの粗通し稽古が行われ、それに先立ち場面ごとの返し稽古も行われた。返し稽古では、演出の上村が一つ一つの動作やセリフ、小道具等を細かくチェックしていき、キャスト・スタッフと確認事項を共有しながら、じっくりと進めていく。例えば、本作において重要な小道具である封筒については、上村から「3cm短くしたい」という希望が出され、スタッフの了承を得た上村が自らハサミで切って短くするという場面に遭遇した。そうした細部にまでこだわってきっちり作っていくことが、上村演出のクオリティの高さを支えているのだろう。

(撮影:田中亜紀)

(撮影:田中亜紀)

返し稽古が最後まで終わった後、粗通しが始まった。

ミハウとアンカは2人暮らしで、非常に仲の良い父娘だ。母はアンカが生まれてすぐに亡くなっている。母の死後、父は娘にありったけの愛情を注いで育ててきたのだろう。そして娘は父の愛情に応え、互いに支え合いながら生きてきたことが2人の関係性から見て取れる。そんな2人からはどこか排他的な空気が漂う。2人の世界に閉じこもり、外に出ていくことを恐れているような、いわば共依存的な関係であるようにも感じられる。

やがて、ミハウの筆跡で「私が死んだ後、開封すること」と書かれた封筒をアンカが見つけたことで、2人の関係性に変化が生じ始める。揺れるミハウとアンカの心の動きを見つめながら、愛とは何か、そして親子関係とは何か、本作のモチーフとなっている十戒の「あなたの父母を敬え」という言葉の、現代におけるとらえ方についても考えさせられた。

(撮影:田中亜紀)

(撮影:田中亜紀)

近藤は重層的な役作りで、娘への愛を滲ませるミハウの中にどことなく寂しさを感じさせる。夏子はミステリアスな存在感で、アンカを大人っぽさと幼さの両面が共存するアンバランスさが魅力的な女性として立ち上げている。2人の他にも、松田佳央理がアンカの母、坂本慶介がアンカのボーイフレンドのヤレク、近藤隼が眼科医と教授、そして益岡徹が同じプログラムBの「デカローグ2」にも登場する医長として出演している。「男」役として『デカローグ1〜10』の全篇に出演する亀田佳明がどのような存在として登場し、どのように物語に関わってくるのかも注目して欲しい。

十戒は神から与えられた戒律だが、本作は決して誰かを戒めたりするものではないというキェシロフスキの思いが伝わってくる。人間は弱い生き物で、決して間違いを犯さないことや、常に正しくあろうとすることは非常に難しい。キェシロフスキはその弱さから目をそらさず、人間のありのままの姿と営みを柔らかな視点で描いている。本作の登場人物たちに対して、反感や嫌悪感を覚える人もいるかもしれない。しかし世の中には、多くの人が思う「普通」から外れた生き方や思想を持つ人も確かに存在する。愛の形、幸せの形は決して定型ではないのに、それでもマジョリティの思うスタンダードが良しとみなされる風潮は、時代が進んでもそう大きな変化は見られない。大切なのは無理やり定型に押し込んだり、定形外のものを排除することではなく、それがどのような形なのか、なぜその形になったのかを正しく知り、向き合うことではないだろうか。不寛容が生む軋轢に息苦しさを感じることが多い現代社会をあぶり出し、一石を投じる作品だ。

(撮影:田中亜紀)

(撮影:田中亜紀)

取材・文=久田絢子