日本のバドミントンの歴史を大きく変えたスーパースターが、自らの国際大会での活動引退を笑顔で報告した。男子シングルスの元世界王者である桃田賢斗(29歳/NTT東日本)は18日、都内で記者会見に臨み、27日に開幕する男子国別対抗戦トマス杯を最後に、日本代表での活動から引退することを明らかにした。約1時間の記者会見に、33社もの報道陣が集まった。日本バドミントン界の顔として活躍してきた桃田の存在感の大きさがうかがえた。

【日本の歴史を変えた、驚異のレコードブレーカー】

 初めて選出された2014年から約10年の日本代表活動は、山あり谷あり。まるで、ジェットコースターだった。


桃田賢斗が日本代表からの引退を発表。国際大会の舞台から退くことになる photo by Hirano Takaya

 ジュニア時代から期待を集めた逸材で、国内外のレコードを次々に破ってきた。2012年、千葉県で行なわれた世界ジュニア選手権で、女子シングルスの奥原希望とともに日本勢初優勝を飾った。

 2015年には、年間成績上位者のみが出場するBWF(世界バドミントン連盟)スーパーシリーズ(現ワールドツアー)ファイナルズで、再び奥原とともに日本勢初優勝を果たし、歴史を塗り替えた。

 2016年に違法賭博店の利用が発覚して約1年の出場停止処分を受けたが、復帰後も記録破りの活躍を続けた。2018年には、世界選手権で初優勝。9月には初めて世界ランク1位に到達。どちらも日本男子初の快挙だった。

 世界選手権で連覇を果たした2019年は、日本男子で初めてBWF世界最優秀選手に選出。主要国際大会における年間11回の優勝は、ギネス記録に認定された。

【中国の大観衆を黙らせた、圧倒的なシャトルコントロール】

 2018年、19年の2年間は、無敵と言ってもいい強さを誇った。世界選手権の優勝は、2回とも現地で見ていたが、会場に放たれる存在感は圧倒的だった。

 2018年の初優勝は、中国・南京市での開催。決勝戦の相手は、中国の次代のエースとして台頭して来た石宇奇(シー・ユーチ)だった。

 新たな中国人世界王者の誕生を期待する大観衆は、石宇奇がスマッシュを打つと「ウー、ヤァー!」と選手のモーションにタイミングを合わせた掛け声で後押しした。しかし、直後に静まり返ってしまう。桃田がレシーブしたシャトルは、相手コートのネット前にきっちりとコントロールされて落ちるのだ。

 コートの後方から強打を打ったばかりの石宇奇は間に合わず、辛うじて拾い上げるように返球できたとしても、桃田に上から攻められた。同じシーンが繰り返されるうち、中国の観客は、チャンスがチャンスにならず、ピンチにしかならない試合をどう見ればいいのか戸惑うようになり、歓声は鳴りを潜めた。

 バドミントン王国である中国のファンが、完敗を認めざるを得ない勝ちっぷり。相手のエースショットを軽々とコントロールする様は、2−0のスコア以上に、格の違いを感じさせた。それは、同時に、世界が新たなスターの誕生を確信した瞬間だった。

 2016年のリオデジャネイロ五輪ごろまで、男子シングルスは3強の時代だった。2008年、12年に五輪を連覇、世界選手権で5度優勝した林丹(リン・ダン=中国)、五輪で3大会連続の銀メダルを獲得し、スーパーシリーズファイナルズを3連覇したリー・チョンウェイ(マレーシア)のふたりに、リオ五輪金メダルの諶龍(チェン・ロン=中国)が加わった勢力図だ。

 彼らが下り坂に差し掛かるなか、次代のスター誕生が期待されていたタイミングでもあり、世界のバドミントンファンが桃田に注目し、大きな期待を寄せるようになった。

【世界中が注目する存在、日本では民放が生中継】

 大きなタイトルを勝ち取っただけではない。2018年、19年は、2年続けて国際大会での勝率が90%を超えた。

 勝ち続ける桃田への関心は、高まり続けた。

 現世界ランク1位のビクター・アクセルセン(デンマーク)は、桃田と同じ1994年生まれ。ジュニア時代からのライバルだった。2016年のリオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲得している。

 桃田が出場停止処分明けで、まだ国際大会のトップシーンに復帰していなかった2017年に世界選手権を優勝。今に至るナンバーワンへの歩みを進めていたが、桃田との対戦成績は、3勝14敗。2014年に1勝、21年以降に2勝をしただけだ。桃田は2015年から20年まで、ライバルを完封し続けるだけの実力を誇った。


2019年には世界選手権を連覇した桃田賢斗 photo by Getty Images

 桃田が2019年に連覇した世界選手権の開催地は、スイスのバーゼル。会場のザンクト・ヤコブ・アレーナでは、コートだけに照明が当たり、暗がりとなったスタンドに座った競技関係者やファンの会話のなかから「モモータ」の単語が聞こえてきた。桃田の試合が行なわれていない時間帯でも、彼らの関心の中心に桃田がいることが、よく伝わってきた。

 翌年に東京五輪を控えていた(20年上旬にコロナ禍が始まり、21年に延期)こともあり、五輪金メダルの筆頭候補として、日本でも期待が高まった。バドミントンに関心のない人たちも、期待の若手から、出場停止処分を受ける問題児となり、そこから世界王者へと駆け上がったストーリーに関心を寄せ、知名度はどんどん高まった。

 2019年世界選手権の決勝戦は、放映権を持っていたテレビ朝日系列で、急きょ生中継が行なわれた。午後9時からのプライムタイム。いつか、バドミントンが野球やサッカーのように、民放で生中継されてメジャー競技になってほしい――。そんなバドミントンファンが描いていた夢を、桃田は現実にかなえていく特別な存在となった。

【悪夢のような交通事故から急失速も、失われない桃田への関心】

 金メダル間違いなし――さらに、バドミントンの象徴として存在感を増すだろうと思われていたが、成功の物語は、唐突に終わりを告げた。

 2020年1月、マレーシアの国際大会で優勝した翌日、帰国のために空港へ向かう車が事故に遭った。運転手は、死亡。桃田は、全身を打撲。顎部、眉間部、唇に裂傷を負った。

 帰国後の入院期間も短く、一度は3月には復帰できると報じられたが、練習再開後、物が二重に見える症状が表れた。再診断を受けると、眼窩底(がんかてい)骨折が判明。手術を受けた。

 直接的な因果関係はわからないが、以降の桃田は苦しんだ。2021年に開催された東京五輪は、まさかの予選ラウンド敗退。その後も国際大会で初戦敗退が続くなど、成績は急失速した。パリ五輪レースも思うような成績を出せず、2大会連続の五輪出場はならなかった。

 それでも、世界が桃田から関心を失うことはなかった。

 パリ五輪レースの最終戦となったアジア選手権に桃田の姿はなかったが、現地に来ていた海外のカメラマンは「桃田はトマス杯に出るよな? 撮影できる最後のチャンスかもしれないな」と気にしていた。

 桃田は代表引退会見で、最後の国際大会となるトマス杯に向けて「最近は、自分の結果と応援が合わないぐらい、会場に行くとたくさんの人に応援していただけて、本当に嬉しい限り。自分の集大成なので、どん欲に、コートの中を動き回りたい」とファンに感謝を示すとともに、意欲を語った。

 国内で選手生活は続けるが、国際大会は最後。世界中の注目を浴びて、「世界の桃田」は最後の国際大会に挑む。

著者:平野貴也●取材・文 text by Hirano Takaya