日常生活で欠かせない存在になったSNS。情報を簡単に、いち早く伝達することができ、災害時にもその力を発揮する。
一方で、「デマの拡散」というリスクもある。災害から命を守る知恵を深掘りする企画『DIG防災』。今回は、震災の教訓と専門家への取材から、SNSとの向き合い方を考える。
ロンドンからの投稿が、宮城の446人の命を救った
2011年に東日本大震災で津波に襲われた宮城県気仙沼市。関連死を含め1220人が亡くなり、今も214人が行方不明となっている。
吉田英夫さん(70)は当時、気仙沼湾の近くにあった中央公民館の館長を務めていた。
気仙沼中央公民館 館長(当時) 吉田さん
「公民館に残った痕跡から4〜5メートルの津波が来たと言われていますが この辺の住宅がすっぽり津波で見えなくなっていたので6メートルくらいは津波が来たんじゃないか」
当時、気仙沼中央公民館には、近くの水産工場で働く人や幼稚園児ら446人が避難していた。
そのうちの一人の小野寺亮介さんは、屋上から津波の様子を撮影していた。津波で変わり果てた市街地を見て、ショックを覚えたという。
あの日、海上では大規模な火災が起きていて、気仙沼中央公民館の周りにも火の手が迫っていた。
避難していた一人 小野寺さん
「津波からは1回助かったのに燃えたら嫌だなって。火事になるっていうのは全然、想定外でしたね」
こうした中、避難した446人は、誰一人、命を落とすことはなかった。なぜ助かったのか。SNSへの投稿がきっかけだった。
実際の投稿
「障害児童施設の園長である私の母が、その子供たち10数人と一緒に、避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の3階にまだ取り残されています。下階や外は津波で浸水し、地上からは近寄れない模様。もし空からの救助が可能であれば、子供達だけでも助けてあげられませんでしょうか。」
この発信元は日本からおよそ9500キロ離れたイギリス。ロンドン在住の内海直仁さん(43)が投稿したもの。
18歳のときに地元・気仙沼を離れロンドンで仕事をしている内海さん。母の直子さんは中央公民館の近くにある児童福祉施設の園長で地震発生後、公民館に避難していた。
SNSに投稿した 内海さん
「(震災後)母から直接メールが一本来ていた。『中央公民館の上、元気』とか極めて短く、けど必要な情報がのっている感じだったんですけど」
母・直子さんが家族に送ったメールには、「公民館の屋根 元気」「火の海 ダメかも がんばる」と書かれていた。メールを見た内海さんは、母親が置かれている状況を理解し、助けになりたいと考え、文字を打ったという。
SNSに投稿した 内海さん
「海外から110番、119番はかけようがないので、残りはソーシャルメディア的なものしかない。決してポジティブな思いでやったというより、消去法でこれしかないと」
瞬く間に拡散された内海さんの投稿。それが、東京都庁で災害対策にあたっていた当時の副知事、猪瀬直樹さんの目に留まった。
東京都庁副知事(当時) 猪瀬さん
「発信している人は命がけで発信していますから、どうやってキャッチしてそれを迅速に効果的に生かすかって。情報は命ですから」
3月11日の夜、正式な救助要請がない中、東京都は消防のヘリを現地に向かわせることを決断した。
そして、発災翌日、気仙沼中央公民館に東京消防庁のヘリコプターが到着し救助が始まった。
気仙沼中央公民館 館長(当時) 吉田さん
「東京消防庁のヘリコプターがいち早く来てくれたということには感謝している」
内海さんの投稿から10数人と思われていた避難者は、実際は446人。全員の救助が完了したのは、13日のことだった。
東京都庁副知事(当時) 猪瀬さん
「ヘリを飛ばしてみたら446人で、0歳から5歳までの保育園児が71人いて、妊婦さんもいて、90代の方もいらして。行って見なければわからない。1日でも遅れたら亡くなられた方も出たかもしれない」
SNSに投稿した 内海さん
「母から電話がかかってきて助かったんだよと(聞けたのが)3月14日だったんですね。何で覚えているかというと、その日が僕の誕生日ので、これはかつてない最高の誕生日プレゼントだなと」
ひとつの投稿から始まった奇跡の救助。しかし、デマが拡散されるケースもあり、災害時のSNSの使い方は課題となっている。その中で、あのときはなぜ、投稿は真実だと判断できたのだろうか。
東京都庁副知事(当時) 猪瀬さん
「デマの情報は割と具体性がないんですよ。(一方で内海さんの投稿は)『私の母は園長である』『10数人と屋上にいる』と、状況が非常に分かりやすくて5W1Hがきちんと入っていたんですね。これは本当だと判断できた」
ロンドンから救助を求める投稿をした内海さんは、離れた場所にいたからこそ冷静に文章を打つことができていたと、当時を振り返っている。
SNSに投稿した 内海さん
「(自分の)現状で解決するにはSNSしかなくて、とにかく修正に修正を重ねて投稿したのは覚えています」
「スマホの電池がなくなっても」
SNSを使った救助の求めは、2024年1月の能登半島地震でも見られた。
自宅アパートが倒壊し生き埋め状態になったという石川県輪島市の男性が電話が通じない中、頼ったのはSNSだった。
被害にあった輪島市の男性
「X(旧Twitter)で命からがらポストして、住所と、『生き埋めになっています』『妻だけでも助けてください』の3つを最終的に送れていた」
男性は、心配になって様子を見に来た会社の同僚や近所の消防団によって救助されたという。
被害にあった輪島市の男性
「命が助かって良かったって安堵感。スマホの電池がなくなっても、X上だったら(投稿が)残りますよね。なので望みを繋ぐ意味では有効だったと思う」
「情報的な孤立」…災害時のSNSの課題
災害時にも力を発揮するSNSだが、一方で、東北大学災害科学国際研究所の菅原大助准教授は災害時のSNSの活用について課題を指摘している。
東北大学 菅原大助准教授
「本当ではない情報がどんどん伝言ゲームで伝わって中身が変わっていく。被害を受けた方は情報を取得しづらい状況になるので、情報的に孤立してしまうと色んな噂とか想像の話が大きく出まわる余地が出てしまう。大きな災害のときの共通の問題」
菅原教授は、SNS上での信頼される投稿を心がけるとともに、地域の住民との対面でのつながりも大切にすることが、災害時に役立つと話す。
「ただアカウントを持っていれば何とでもなるという訳ではなくて、関係をきちんと作る。SNSだろうと対面だろうと情報を発信しているだけでは一方通行で、助けがくるか分からないってことになりますからね」
モラルある投稿とSNSを通じた日頃の信頼関係の構築が、いざというときの災害には必要になる。