リベンジを成功させたイソノルーブル
リベンジを成功させたイソノルーブル

【記者が振り返る懐かしのベストレース】オークス史上最大の“リベンジレース”と言えるのは1991年のイソノルーブル=松永幹夫(現調教師)だ。同年の桜花賞で起きた“イソノルーブル落鉄事件”。スタート10分前、1番人気に支持されたイソノルーブルの落鉄が発覚したが、再装着できずにそのままスタート。右前脚がはだしのまま走り、5着に敗れた。松永幹は泣きながら検量室へと戻ってきたという。

「オークスでこの馬の真の力を見せる」。東京競馬場で行われる2冠目での巻き返しを誓ったが、その本番では逃げ馬にとって致命的な大外20番枠を引き当ててしまう。度重なる不運と距離への不安。ファンの支持も薄れ4番人気まで下降した。

 大外枠からジワジワと“定位置”のハナへ。そのままマイペースの一人旅に持ち込んだ。そして迎えた直線。未知の距離と長い直線が立ちはだかる。最大のライバル・桜花賞馬シスタートウショウが猛然と追い込んでくるが…。ここからが松永幹“執念”の騎乗。渾身のアクションで粘り込ませ、シスタートウショウの猛追を退けてゴール。わずかハナ差の勝利だった。

 桜花賞の悔し涙がオークスではうれし涙に。馬の強さはもちろんだが、鞍上と関係者の気持ちが乗り移ったとしか思えない一戦だった。(2008年5月21日付東京スポーツ掲載)

桜花賞落鉄事件のリベンジ!イソノルーブル松永幹が20番枠から見せた執念/1991年・オークス

著者:東スポ競馬編集部