しかし、それは、株式投資に力を入れろ、というサインを紋治郎氏が送ったわけではなかった。損得勘定すれば、株はたいして儲からないことを気づかせ、商売に一生懸命取り組む重要性を説いたのだった。

「優れた商人とは何か」を問い続け実践する姿勢

飯田家には家柄のいい家から賢明な子弟が出ることを例えた「藍田生玉 (らんでんしょうぎょく)」という表現が当てはまるのではないか。ここでいう「家柄」とは、単に資産家や名誉ある家系のみを指していない。

飯田家には、「優れた商人(経営者)とは何か」を問い続け実践する姿勢がうかがえた。それを琴線に触れる言葉で説き、自ら考えさせ、気の利いた言葉にして答えるように毎日、教育した。

細かな行動、姿勢にも厳しかった。父・紋治郎氏は息子がしゃがんでいると「人前でしゃがむな」と大きな声で注意し、すぐに立たせた。

父の厳しさを優しさで中和していた母(なつ氏)も気の緩みを許さなかった。不意に「アー」とため息をつこうものなら、「男がため息なんかつくもんじゃないよ」と。

いまどき、「男が」という表現を使うと「ふとどきにもほどがある」と言われそうだが、母なつ氏は、後ろ向きになるな、簡単にあきらめるな、ということが言いたかったのだろう。「男が」をつけることで、くどくど説明しなくても済んだ。「しっかりした男」の社会的規範が現在よりもシンプルで明確だったと考えられる。