2025/4/12 17:37

広末涼子、ダウンタウン、石橋貴明、中居正広の退場で「平成」が終わった…変化する時代の空気

激怒

広末涼子の逮捕が連日ニュースを賑わせている。広末のほか、ダウンタウン、石橋貴明、中居正広といった平成の顔たちが表舞台から姿を消しつつある今、「平成」という時代そのものが、ようやく終焉するのかもしれない。

広末は清純派アイドルの象徴であり、1990年代の青春そのもの。ダウンタウンはお笑いの王様として、巨大メディア(テレビ)の中心に君臨。石橋はバブルの残り香とともに豪快な笑いを届けた。中居はSMAPの中心として、平成ジャニーズを体現しながら、MCという領域でも絶対的な存在となっていく。

退場という言葉が意味するのは、単なる有名人の引退ではない。それ以上に、彼らを支えていた時代の空気、そしてその空気を形づくっていたメディアと技術の構造自体が、大きく変わったということだ。

平成、とくに90年代から2000年代前半にかけては、「巨大メディアが作る共通体験」の時代だった。
●家族や友人と同じバラエティー番組を観る
●音楽番組でCDの売上ランキングを追いかける
●雑誌で芸能人の私生活に触れ、切り抜きを集める
●「昨日のMステ見た?」が会話の入口になる
●流行語やギャグが全国どこでも通じる

たとえば広末がCMに出れば、それだけで社会現象に。中居はアイドルでありながら、司会者としても無双。そうした“テレビ中心文化”が当たり前であり、それこそが「平成の空気感」だった。

令和は、一言でいえば「個の時代」、そして「分断された時間」の時代だ。
●YouTubeやNetflixで自分の好きなときに、好きなものを“摂取”できる
●SNSでトレンドがコミュニティごとに同時多発的に起こる
●音楽はストリーミングで聴くものとなり、CDを買う意味は希薄に
●地上波の絶対的な強さが崩れ、視聴率では測れない時代へ
●AIやアルゴリズムが、個人の好みを自動で仕分けしてくれる

つまり「誰もが同じ番組を観て、同じ芸能人を語る」ような文化は、ほとんど存在しなくなった。

おそらく、令和において新しいスターは「みんなのもの」ではない。YouTuber、TikToker、VTuber、ストリーマー、地下アイドル、インディーアーティスト…。スターは「共通の憧れ」ではなくなり、代わりに「自分だけの推し」へと分散していった。

そして「平成の終わり」を感じさせる最大の要因は、その背景にあった自由な空気の喪失かもしれない。

たとえばバラエティーやドラマも、以前は「突っ込みどころ」「変なキャラ」「やりすぎ感」がウケていた。しかし今は、「共感できる」「誰も傷つけない」「肯定的な世界観」が求められている。

かつて「お笑い」や「スター」や「自由」は、不完全さを含みながらも成立していた。しかし現在は、その不完全さですら許されなくなりつつある。

日本の元号が変わるのは制度上のタイミングだが、本当に時代が変わったと人々が感じるのは、もっと遅れて訪れる。そのひとつの目安が“元号の7年目”だ。
と、週刊実話WEBは報じた。

広末涼子、ダウンタウン、石橋貴明、中居正広の退場で「平成」が終わった “元号7年目”で変化する時代の空気 |週刊実話WEB広末涼子、ダウンタウン、石橋貴明、中居正広の退場で「平成」が終わった “元号7年目”で変化する時代の空気 |週刊実話WEB

編集者:いまトピ編集部