4月7日、F1第4戦日本GPの決勝レースが鈴鹿サーキットで行なわれた。初の春開催となったレースを制したのはマックス・フェルスタッペン(レッドブル)。今季3勝目を飾った。

 1987年の初開催以来、秋に開催されタイトル争いの決着など様々なドラマを生んできた日本GP。2024年からは開催カレンダーの効率化……つまり同地域でのレースを同じ時期にまとめて開催したいというF1の意図などもあり、オーストラリアGPと中国GPの間、4月上旬の開催となった。

 金曜フリー走行1回目では、レッドブル育成ドライバーの岩佐歩夢がRBから出走。フロアの比較テストなど、重要な役割を担った。

 予選でポールポジションを獲得したのは、今季既に2勝を挙げているフェルスタッペン。チームメイトのセルジオ・ペレスが2番手につけた。グリッド2列目にはランド・ノリス(マクラーレン)、カルロス・サインツJr.(フェラーリ)が続いた。角田裕毅(RB)はQ3に進出し、10番グリッドを確保した。

 決勝レースに向けたタイヤ選択は、上位陣が主にミディアム、グリッド後方のドライバーがソフトを選択するような状況。グリッドトップ10のドライバーの中では、5番グリッドのフェルナンド・アロンソ(アストンマーティン)だけがソフトを選んだ。気温は22℃、路面温度は40℃だ。

 スタートでは上位陣には動きがなかったが、ミディアムタイヤを履く角田の蹴り出しがやや遅れ、ふたつ順位を落とした。そのすぐ後ろではダニエル・リカルド(RB)とアレクサンダー・アルボン(ウイリアムズ)がS字手前で接触。2台はタイヤバリアにクラッシュしたため、バリアの修復のためにセッションは赤旗中断となった。

 レースは3周目からスタンディングスタートで再開。フェラーリ勢は赤旗中断の間に新品のミディアムタイヤに履き替えた他、メルセデス勢はミディアムからハードに履き替えたため、タイヤの2スペック使用義務は消化した形。角田もミディアムから中古のソフトに履き替えた。

 リスタートはフェルスタッペン、ペレス、ノリス、サインツJr.と、スタート順通りのオーダーで1コーナーを抜けた。12番手でスタートした角田は1〜2コーナーの混乱をうまく切り抜け、9番手に上がったが、5周目の1コーナーでジョージ・ラッセル(メルセデス)に抜き返され10番手に落ちた。

 レース再開直後から、早くもピットインするドライバーが。6周目終了時には角田の後ろを走るバルテリ・ボッタス(キック・ザウバー)がピットイン。角田もその翌周に反応してソフトからハードに交換したが、ボッタスの後ろでのコース合流となり、アンダーカットを許した格好となった。

 快調にトップを走るフェルスタッペンは、17周を走り終えてミディアムからミディアムにタイヤ交換。21周目には、ステイアウトを続けるシャルル・ルクレール(フェラーリ)を抜いて再びレースリーダーとなった。後方では角田が、ボッタスと共にペースの上がらないドライバーたちを交わして順位を上げていたが、ステイアウト組で10番手につけるケビン・マグヌッセン(ハース)のすぐ後ろに引っかかるような形で、ボッタス、ローガン・サージェント(ウイリアムズ)、角田らが続く格好となった。

 戦況が大きく動いたのは23周目。マグヌッセン、ボッタス、サージェント、角田、ランス・ストロール(アストンマーティン)の5台が同時にピットインしたのだ。そしてRBのクルーは角田を迅速にコースまで送り出し、角田はピットレーン上でサージェント、ボッタス、マグヌッセンをまとめて追い抜く形となり、5台パックの先頭に出ることに成功。見た目上のポジションは11番手となった。

 34周目には、角田がハードタイヤで30周近くステイアウトするニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)に追い付いた。1コーナーでは抜けなかったものの、逆バンクでアウトから豪快にオーバーテイクし、ポイント圏内の10番手に上がった。

 上位陣に目を向けると、フェルスタッペン、ペレスはレース中盤に2回目のピットストップを行ないハードタイヤに交換し、ワンツー態勢を堅守した。3番手には、1ストップ作戦を狙ってミディアムタイヤで粘りの走りを見せたルクレールが入り、ノリス、サインツJr.が続いた。

 フェルスタッペンは最終的にペレスに対して12秒のリードを保ってトップチェッカー。今季3勝目を挙げた。2位はペレスで、レッドブルのワンツーも今季3度目となった。フェラーリはレース終盤で作戦の異なる2台のポジションをスワップしたため、3位はサインツJr.、4位はルクレールとなった。

 5位ノリス、6位アロンソ、7位ラッセル、8位オスカー・ピアストリ(マクラーレン)、9位ルイス・ハミルトン(メルセデス)と続き、10位で角田がチェッカーを受けた。

 レース終盤には、ストロールやニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)がフレッシュなタイヤで追い上げていたが、角田を捉えるには至らなかった。角田にとっては母国GPで初の入賞、ピットクルーの作業や自身の走りなど、様々なものが噛み合っての入賞となった。

 なおグランプリの決勝日には10万2000人が来場。3日間の合計は22万9000人となり、2009年に日本GPの鈴鹿開催が復活して以降では最多となる来場者数となった。