現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん『ヤンキーと住職』。少々、人付き合いがちょっと苦手な住職と、仏教やその用語が大好きなヤンキーの微笑ましいやりとりを通して、用語の正しい意味や、仏教について学ぶことができる漫画です。
そんな『ヤンキーと住職』の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。今回は特攻服の背中によく書かれている「天上天下唯我独尊」の意味が学べます。
(注:『誕⽣偈』の解釈は様々あります。本作に書かれているのは近代以降に登場した一つの解釈です。詳しくはインタビュー本文をご覧ください。)

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さまざまなものが大きく変化している現代。主人公の住職(35歳)のお寺も例外ではなく、時代の流れか、お参りや檀家は減る一方だ。何とかしたくも、人付き合いが苦手なためどうにもできない...そんなある日、お寺に怖そうなヤンキーが現れた。特攻服の背中には「天上天下唯我独尊」の文字。「彼は、この言葉がお釈迦様のお言葉だと知っているんだろうか...」気になって仕方がなくなり声をかけてみると、意外な返答が...。

「それ本当?」と思うような伝説が、なぜ長年大切にされてきたのか?そこに込められた意味を考えることが大切
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――近藤丸さんは、以前仏教の学校(中学・高校)で勤務され、この漫画を描き始めたのもその頃の経験が影響しているそうですね。「天上天下唯我独尊」のエピソードも、実際に行われた授業がベースになっているとお聞きしましたが...。
近藤丸さん(以下、近藤丸) はい。仏教の授業でお釈迦様の生涯について学ぶのですが、最初に学ぶのが生まれてすぐに7歩あゆみ、「天上天下唯我独尊」と叫んだという逸話です。もちろんこれは、歴史的な「事実」ではなく「伝説」です。しかし、仏教を伝えてきた人たちはこうした伝説を大事にしてきました。
――授業でこの話を伝えたとき、生徒の反応はいかがでしたか?
近藤丸 「あやしい」「胡散臭い」と言っていました。そこで私は、「そう、どこか胡散臭いよね。でもどうして仏教徒たちは、わざわざこんな歴史的事実とは思えない話を大事にしてきたのか? そこに込められた意味を考えることが大事なんだ。その事をこれから学ぼう」と話していました。そして、仏教の教科書や入門書に書かれている伝説の意味を、生徒たちに伝えていたんです。
――私たちにもこの伝説の意味を教えていただきたいです。
近藤丸 まず「7歩」には、六道の迷いを超えるという意味が含まれています。人間は、六道の苦しみの世界を迷いの心で作り出していると考えます。六道については、いずれ漫画『ヤンキーと住職』の中でも触れたいです。お釈迦様は迷いの世界「六道」を、一歩出た人なのですね。これは、何も生まれてすぐに悟りを開いたという意味ではなく、後に悟りを開き大切な事に目覚めたということを、誕生に引き寄せた表現だと解釈されます。
――誕生後に言葉を叫んだことだけでなく、「7歩歩んでから言った」ことに大きな意味があったとは、教えていただかないと分からないですね。

皆の命が、かけがえのない無上のものだと教えてくれる言葉
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――「天上天下唯我独尊」と聞くと、ヤンキーや暴走族を連想してしまいますよね。そのせいか「俺が一番!」と自分を誇示していると思ってしまいますが、この言葉の本当の意味は何でしょう?
近藤丸 「天上天下唯我独尊」という言葉は、『誕生偈(たんじょうげ)』と呼ばれます。現代では傲慢で尊大な言葉として、ときに揶揄されるような形で一般に広く用いられていますね。しかし、このような理解・用法は『誕生偈』の正しい理解・用法ではありません。
「天上天下唯我独尊」という言葉は、いくつかのお経に出てきます。例えば、『修行本起経』には「天上天下唯我独尊、三界皆苦吾当安之(世界は皆苦なり、 吾まさにこれを安ずべし)」とあります。つまり、「この世では皆が苦しんでいる。私は必ず悟りを開いて、皆の苦しみを抜くような者に成りたい」という意味ですね。
――もう少し分かりやすく解説をお願いします。
近藤丸 この言葉は、まずは、お釈迦様が大切な事に目覚めるようなものに成る、そして衆生を救済するようなものに成ろうという、自己の尊さを述べた言葉です。しかし、近・現代になるとこの言葉は、もう少し広い意味を汲んで解釈されるようになり、「あらゆるものから尊いと尊敬される生き方に目覚めたという意味で尊い」という表現であるとか、「天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、この命のままに尊いということの発見」の言葉であると解釈されるようになっていきます」
――自分を誇示する言葉だと勘違いしている人が多いですが、お釈迦様の覚悟が込められた言葉だったのですね。「誰とも代わることのできない人間」という言葉に、漫画に登場するヤンキー君が惹かれるのも理解できます。
近藤丸 でもね、「天上天下唯我独尊」にはさまざまな解釈があり、漫画で描いたのは、あくまでそのうちの一つなんです。近年、仏教系の学校の教科書の多くや入門書では、「天上天下唯我独尊」は「自己のいのちの尊さの発見」の言葉とされています。また、その自己は他の多くのものとのつながりの上に生かされているため、自己だけではなく、他者の尊さに目覚めることの大切さも教えていると、解釈されます。
――「自己のいのちの尊さの発見」、そう考えると、「天上天下唯我独尊」がいかに深い意味を持った言葉か分かりますね。
近藤丸 念のため注意しておきたいのは『誕生偈』の解釈はさまざまあり、この『ヤンキーと住職』で述べられているのも、解釈のうちの一つだということです。なお、解釈についてはさまざまな議論があります。この辺りのことについては仏教学者である西義人先生が、『「天上天下唯我独尊」をどう説明するかー本願寺派における「いのちは尊い」説の定着に関してー』(龍谷教学会議編『龍谷教学』第51号)や、『近代における「天上天下唯我独尊」の説示』(日本佛教学会編『仏教と日本』第1巻)などの論文に詳しく書いて下さっています。興味のある人は参考にして下さい。

生徒たちのやりとりから生まれた、「ヤンキー」というキャラクター
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――近藤丸さんのお話、きっと生徒さんたちの心にも残っているでしょうね。
近藤丸 「天上天下唯我独尊」の話をすると、生徒のみなさんも仏教の伝承やお釈迦様の言葉を通して、自分自身を見つめることの大切さを少し理解してくれるように思います。そのあと生徒たちに、「暴走族の特攻服にも書かれているのを見たことがありますが、『自分だけが偉い』という風に意味を誤解しているかもしれません。本当はそうではなく、『私の命がかけがえのないものなのだから、あなたの命も、また他の人の命も、かけがえのない尊いものなんだよ』という意味です。でも、もしかしたら暴走族の人たちはそれをきちんと分かったうえで、刺しゅうを入れているのかな? そうだったら感動しますね」と話したところ、生徒たちは笑ったり、反論してくれたりしました。こうした授業でのやり取りから生まれたのが、『ヤンキー』です。
――大変勉強になるお話しでした。
近藤丸 今まで僧侶として仏教の大学で学んできた経験や、中高生に仏教系高校で教えるなかで学んだことを、漫画の中にちりばめています。読むと何か新たな発見や、今まで無かった見方に出合えるかもしれません。ヤンキーと住職の何気ない会話の中から、仏教の深さや楽しさに触れられるような話を描いたつもりです。今後もどんな話が展開されるのか、ぜひ期待して下さい。この漫画をきっかけに、2500年続いてきた深い教えである仏教の言葉に出遇って頂けたら有難いです。
仏教の言葉を知っていても、その本当の意味は知らないことの方が多い。しかし仏教が生まれてから2500年、人々の喜び、悲しみ、苦悩に寄り添ってきた教えには、現代に生きる人々が抱える悩みを解決に導くヒントがある。漫画『ヤンキーと住職』を読んで、これからの人生の糧になる、大切な言葉や教えを見つけよう。