現役の僧侶(浄土真宗本願寺派)である近藤丸さん(@rinri_y)が描く漫画『ヤンキーと住職』。少々、人付き合いがちょっと苦手な住職と、仏教やその用語が大好きなヤンキーの微笑ましいやりとりを通して、用語の正しい意味や、仏教について学ぶことができる漫画です。
そんな『ヤンキーと住職』の中から特に印象的なエピソードを厳選し、近藤丸さんのインタビューと共にご紹介。今回はお経や『平家物語』にも登場する言葉「諸行無常」の本当の意味について住職とヤンキーが語り合います。

84_「諸行無常」1.jpg



85_「諸行無常」2.jpg


86_「諸行無常」3.jpg


87_「諸行無常」4.jpg


88_「諸行無常」5.jpg


89_「諸行無常」6.jpg


「天上天下唯我独尊」がきっかけでヤンキーと交流する住職。言葉を交わす中で、彼の特攻服に刺繍されていた「諸行無常」が気になり聞いたところ、ヤンキーの仏教に対する博識ぶり、そして悲しい過去が明らかになる。

お経はお葬式で読まれるもの?本来は日常生活でいつでも読むべきもので、人間のさまざまな悩みに対する解決方法が説かれている
90_「諸行無常」7.jpg



91_「諸行無常」8.jpg


92_「諸行無常」9.jpg


――ヤンキー君は友人の葬儀で無常について考えたのですね...お経が読まれるのはお葬式ですが、そもそも、お経とはお葬式で読まれるためのものなのでしょうか?
近藤丸さん(以下、近藤丸) いえ、お経はインドの言葉で『スートラ』と呼ばれるもので、分かりやすく言えばお釈迦様(釈尊、釈迦牟尼)の教えをまとめたものです。目覚めた人(仏陀)の言葉です。お釈迦様は相手の悩みに合わせて、さまざまな苦しみの解決方法を説きました。これを『対機説法』といいます。だから、沢山のお経が残されているのです。8万4000もの教えがあることから、『八万四千の法門』などと言われることもあります。
――生きている人の苦しみの解決法を説いたものだったんですね。では、なぜ亡くなった人のために読まれるようになったのでしょう。
近藤丸 お経と一口に言っても、書いてある内容はとてつもなく幅広いです。ものすごく簡単にざっくり言うと、あらゆる人間に対して『大切な事に目覚めてくれ』と書かれています。ですからお経は、本来は『生きている者が、どんな時でも聞くべきもの』として残されたものなんです。つまり、ことさらにお葬式の場で読むことを想定されたものではありません。
ただ、人が死にゆく葬儀の場はある意味、人生で最も大切な場。そこで仏様の教えを聞くことが、仏教の伝統の中で大事にされてきました。仏教徒は、亡き人をしのびお別れをするという儀式を通して、仏様の教えを聞く縁を頂いてきたのです。そういう意味でやはり別れの場、悲しみの場がお経を聞く機縁となることが多くなりますね。しかしお経は本来、日常生活の中で、いつでも読ませていただくべきものなのです。

タイプの異なる2人と仏教の教えが起こす化学反応を、自身もワクワクしながら執筆
93_「諸行無常」10.jpg



94_「諸行無常」11.jpg


95_「諸行無常」12.jpg


96_「諸行無常」13.jpg


97_「諸行無常」14.jpg


98_「諸行無常」15.jpg


99_「諸行無常」16.jpg


100_「諸行無常」17.jpg


普通の漫画の「流れ」でいうなら、住職がヤンキー君を諭して更生に導くものだが、『住職とヤンキー』では真逆。つらいこと、悲しいことに触れる中で真摯に仏教の教えに向き合い、自分の経験とともに教えを刻みこんでいるヤンキー君に、住職も思わず膝を折ってしまうのだ。
――近藤丸さんは仏教学校の教師時代や、お盆参りなどの漫画を執筆していますが、ご自身にとって、『ヤンキーと住職』はどんな作品なのですか?
近藤丸 いずれ漫画の中にも描いていきたいなと思うのですが、私自身が漫画の住職と同じく、寺の生まれではありません。でも、中学生の頃に出会ったお坊さんや、仏教の教えに少なからず助けられたところがあり、僧侶になるご縁を頂きました。仏教ってすごく奥が深いですし、人生の苦難に寄り添ってくれるような教えだと感じています。
――この漫画を通じて、多くの人に仏教の奥深さに触れてほしい、と。
近藤丸 私自身まだまだ勉強中で、仏教の教えを分かっているとはとても言えないのですが、仏教の言葉に出会って感じたことや教えられたことを、表現出来たらなぁと思っていました。そんな時、漫画仲間とのやり取りの中で思いついたのが『ヤンキーと住職』でした。この作品は私の中で、自分が出会ってきた仏教や言葉との出会いから教えられたことをなるべくストレートに伝える作品になっています。仏教高校時代の経験をエッセイにしたものも好きな作品ですが、一番こだわりをもって描いているのが『ヤンキーと住職』です。
――近藤丸さんが心動かされた仏教の教えを2人の会話から学びつつ、今後2人の関係がどう変化していくかも興味深いですが、今後はどう展開していくのでしょうか?
近藤丸 実は僕自身も興味深く思っているんです。この2人と仏教の教えが化学反応を起こすことで、どういう話が生まれるのか? 自分自身、興味を持ちながら毎回制作しています。ただ、ものすごく悩みながら描いているので遅筆というか、少しずつしか描けない点がもどかしいのですが...。真面目に描きつつも話自体はゆるいので、暇な時に気軽に読んでいただけると有難いですね。
――住職やヤンキー君のキャラクターがいいので、お話もすっと入って来ると思います。
近藤丸 でも、この話はあくまで私が教えや、教えの言葉に出会って感じたことでしかないので、正解とかではありません。間違って自分勝手に捉えている部分もあると思うのです。私としては一番の願いは、これをきっかけに読者が自分自身で、直接お釈迦様の書いたものや、仏教の伝統の中に生きた僧侶の言葉に直接あたってもらって、深く考えてもらうことです。仏教の言葉は、自分の人生や悩みのうえで聞いていくべきだと思うんです。そういうことが本当に大切だと思っています。
仏教の言葉を知っていても、その本当の意味は知らないことの方が多い。しかし仏教が生まれてから2500年、人々の喜び、悲しみ、苦悩に寄り添ってきた教えには、現代に生きる人々が抱える悩みを解決に導くヒントがある。漫画『ヤンキーと住職』を読んで、これからの人生の糧になる、大切な言葉や教えを見つけよう。
■お経に関して参考にした文献
釈徹宗著『お経で読む仏教』(NHK出版)
岡崎秀麿・冨島信海著『どうしてお葬式をするの?』(本願寺出版)