黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(12月20日放送)に調教師の矢作芳人が出演。競馬における調教師の仕事について語った。

競馬 東京11R 第87回日本ダービー(東京優駿) 1着5番・コントレイル。史上7頭目となる無敗で2冠を達成、矢作芳人調教師は8年ぶりのダービー制覇となった=2020年5月31日 東京競馬場 写真提供:産経新聞社

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。12月18日(月)〜12月22日(金)のゲストは調教師の矢作芳人。3日目は、矢作厩舎を開業するまでの経緯について—

黒木)矢作さんのお父さんも調教師でいらしたのですよね?

矢作)括りとしては日本中央競馬会(JRA)ではなく、地方競馬になるのですが、大井競馬場で調教師をしていました。大井競馬場で有名なのはハイセイコーですね。

黒木)高校を卒業後、最初はお父さんに反対されたのですが、競馬の世界を目指すことになった。そのとき、JRAに行って欲しいということと、海外で修行して欲しいと言われたと聞きました。まず海外のオーストラリアに行かれたそうですが、そのときの話をお聞かせください。

矢作)約1年いたのですが、いまとはまったく事情が違い、携帯電話もない時代でしたし、国際電話も高い。ほとんど日本人がいないなかで、非常に孤独で寂しい思いをしました。あの厳しかった1年間があったので、いまがあるのではないでしょうか。自分の調教師としての基礎をつくってくれたのがオーストラリアだと思います。

黒木)アメリカやヨーロッパではなく、日本人が誰も行っていないオーストラリアで修行したのですね。

矢作)あえてそうしました。

黒木)日本の調教師とは違うのでしょうか?

矢作)大きく違いました。それをすべて日本に当てはめることはできませんが、視野を広げるという点で、自分の引き出しがすごく増えました。

黒木)日本に戻ってからはどうなさったのですか?

矢作)戻ってからは大井競馬場で父親の手伝いをしたあと、JRAに行きました。そこでは武豊君と一緒でした。

黒木)そうなのですね。そして矢作厩舎をつくられたのが2005年。最初は12頭だったのですよね?

矢作)栗東トレーニングセンターというところで開業しました。

矢作芳人

矢作芳人

黒木)馬はどのように選んだのですか?

矢作)前に引退された方から引き継いだ馬も多かったのですが、事前に牧場を回って馬主さんにお願いし、何頭も買ってきました。

黒木)周りのスタッフも年配の方が多く、それでも「絶対に稼ぐのだ」という心意気だったと聞きました。

矢作)厳しいスタートで、外から見たら確かにそうだったのですが、自分には夢と希望しかなかったので、前だけを向いていました。それがよかったのか、みんな私より年上のスタッフだったのですが、若造の言うことをよく聞いて頑張ってくれて、初年度から成績を上げることができました。

黒木)初年度から?

矢作)最初は血統的にも馬体的にも、上のクラスのG1と言われるようなレースに出せる馬はいなかったので、地道に下のクラスで積み重ねていった経緯があります。

黒木)スタッフの方にも厳しく指導されているという記事を読みましたが、「馬の気持ちがわからないのに、人の気持ちがわかるわけがない」という。その辺りの馬とのコミュニケーションについても……。

矢作)馬は感情を持った生き物なので、コミュニケーションは大事です。人間の考えていることは馬もわかるのだと思います。少なくとも「わかっていない」と思っていては、育てることができません。人間が怒っていたり機嫌が悪かったりすると、馬も沈んだ気持ちになるではないですか。やはり人間が明るくハッピーになり、「明るくコミュニケーションを取って、楽しく調教してレースに出る」ということをモットーとしています。

黒木)そうすることによって、馬もいい意味で成長していけるのですね。しかし、馬は走ってみないと、調子がいいか悪いかはわからないではないですか。

矢作)体、目の輝き、毛艶ですね。あとは飼葉という食事をたくさん食べられるかどうかも大事です。

黒木)いろいろと大変だからこそ、やりがいや夢があるのですね。

矢作)競馬は10回に1回しか勝てないようなスポーツなので、勝ったときの喜びは大きいです。それも私1人ではなく、騎手や馬主さん、スタッフみんなで共有できる喜びであり、そのためにみんなで頑張るのです。

矢作芳人

矢作芳人

矢作芳人(やはぎ・よしと)/調教師

■日本中央競馬会(JRA)栗東(りっとう)トレーニングセンター・調教師。
■1961年3月20日生まれ。東京都出身。
■開成高校卒業後、1年余りオーストラリアの厩舎、牧場で修行。
■帰国後、大井競馬場の父・矢作和人厩舎を経て、1984年・栗東で厩務員、1986年からは調教助手を務める。
■2004年2月、調教師試験に合格。2005年3月、厩舎を開業。
■2005年3月26日、テンザンチーフで初勝利。2014年、JRA賞(最多勝利調教師)など表彰多数。

■2018年以降、国内外で歴史的活躍馬を送り出し、“世界のヤハギ”と称される。
・国内G1レース4勝、オーストラリア屈指の大レース「コックスプレート」を日本調教馬として初めて制した2019年JRA年度代表馬『リスグラシュー』。
・2020年、史上8頭目の無敗の3冠馬『コントレイル』。
・日本調教馬として世界最高峰のレース「米ブリーダーズカップ フィリー&メアターフ」を初めて制し、日本競馬界の歴史的快挙を成し遂げるなど、海外G1・3勝を達成した『ラヴズオンリーユー』。アメリカの年度表彰で最優秀芝牝馬を受賞。
・日本調教馬として史上初めて「米ブリーダーズカップ ディスタフ」で優勝した『マルシュロレーヌ』。
・世界最高の1着賞金1000万ドル(約13億6000万円)を誇るサウジアラビアのレース「サウジカップ」を日本調教馬として初めて制した『パンサラッサ』(*日本G1の最高賞金は有馬記念とジャパンカップの5億円)。
……など、海外G1をはじめ、日本のホースマンの夢と言われる数々のビッグレースを制してきた日本を代表する調教師。