“飛ばないバット”とも表現される高校野球の新基準バット。今回の決断に至るまでの経緯と歴史的背景について、日本高野連の担当者に直撃取材した。(全3回の第2回/第1回、第3回も公開中)

 1999年に規格変更が決まった「バットの最大径67ミリ未満、重量900グラム以上」の重いバットは2001年秋に導入された。この前後の甲子園の本塁打数を見ていこう(日本高野連提供のデータによる)。

00年 春31試14本(0.45)/夏48試38本(0.79)
01年 春33試21本(0.64)/夏48試29本(0.60)
02年 春31試14本(0.45)/夏48試43本(0.90)
※新基準金属バット採用
03年 春34試9本(0.26)/夏48試13本(0.27)
04年 春31試23本(0.74)/夏48試33本(0.69)
05年 春31試10本(0.32)/夏48試32本(0.67)
06年 春32試14本(0.44)/夏49試60本(1.22)
07年 春31試10本(0.32)/夏49試24本(0.49)
08年 春36試14本(0.39)/夏54試49本(0.91)
09年 春31試13本(0.42)/夏48試35本(0.73)

 新基準金属バットを導入後の03年は春夏ともに本塁打が減ったが、その後は上昇傾向に転じた。06年夏は49試合で60本塁打と1試合当たりの本塁打数が1を超えた。

 1試合当たりの本塁打数は、導入前の00年、01年は春が0.55本(64試合35本)、夏が0.70本(96試合67本)だったが、規格変更後の02年から09年までは春が0.42本(257試合107本)、夏が0.74本(392試合289本)、特に夏の甲子園では導入の効果はほぼ見られなかった。

アメリカでも「飛びすぎる金属バット」問題が

 この時期から甲子園に出場するような有力校では、寮にトレーニングルームを設置し、打撃練習だけではなく筋トレなど体を大きくするトレーニングをするようになった。またプロテインなどの栄養食を摂取するのも普通のことになっていく。

 そうした有力校の「パワーアップ」への取り組みが、新基準金属バットの規格を易々と乗り越えていったということではないか。

 この時期、アメリカでも問題が起こっていた。

 打球速度が速くなりすぎて選手が怪我をするなど「飛びすぎる金属バット」の弊害が深刻化していたのだ。このためアメリカ国内では、金属バットの使用を禁止する州も出始めていた。

 IBAF(国際野球連盟)国際大会でも金属バットの使用が禁じられた。日米の野球選手は国際大会では木製バットに持ち替えざるを得なくなり、不利益が生じていた。

日米バットメーカーが行なっていた合同会議

 こうした事態を解決するため、2002年、日本高野連は自らが定めた金属バットの規格を世界基準にするようにIBAFに提案をしたが受け入れられなかった。

 世界の趨勢は、アマ野球でも金属バット禁止の方向に傾いていたが、競技人口が多いアメリカと日本では、コスト面でも金属バットの使用を標準化したいと考えていた。

 そこで共同で木製バットにさらに近いものを開発することとなった。

 2007年9月、高野連、アメリカのアマチュア野球を統括するNCAA(全米体育協会)の幹部、日米のバットメーカーの担当者がアメリカのホテルに集まって、世界のバットの基準統一を提案するための合同会議が行われた。

 ポイントは(1)安全なバット、(2)耐久性、(3)試験方法の3点だった。

 アメリカはすでにBES-R(Bat Exit Speed Ratio)という検査方式をクリアした金属バットを導入していた。

 BES-Rは、試料バットのグリップを固定し、90mph(145km/h)のボールをぶつけたときの打球速度係数を出し、基準値以下の製品を合格としていた。日本側はBES-Rの製品の規格については理解したが、検査環境や検査に使用するボールなど同方式をそのまま導入するのは難しかった。

 また同方式では木製バットと5%程度の数値の差異があり、アメリカではこれを容認していたが、日本側はその差を縮めるように要求した。そのうえで、日米で木製バットに近い金属バットを開発するという合意が持たれた。

日米の主張が対立し、平行線となったワケ

 翌2008年8月の第2回会議では、米側は「秋には日本の要望にもそう新基準を打ち出すので本日のところは互いの取り組みを尊重する」との要望があり日本側も了承。アメリカ側も開発に時間をかけ、慎重を期したことがわかる。

 秋になって米側はBBCOR(Ball-Bat Coefficient Of Restitution)という新たな検査方式を提案してきた。これはBES-Rに加えてバットの慣性モーメント(MOI)を加えた打球の反発係数によって製品を検査するものだった。

 この話し合いを通じて、日米の金属バットの「開発姿勢の違い」が浮き彫りになる。端的に言えばアメリカは「破壊検査」、日本は「非破壊検査」を主張していた。

 アメリカは、バットにボールをぶつけて、その数値をもとに基準を設定するという「動的試験」を重視していた。しかし日本にはBES-RやBBCORの測定試験機は存在せず、導入には巨額の費用が見込まれる。

 日本側としては、安全性を担保するとともに、数多くの金属バットを生産するためにも製品設計によって強度を抑制する。そして大掛かりな機器を必要としない「静的試験」を重視したい。日米の主張は対立し、平行線となった。

検査方法が大きなネックとなり、開発は中断した

 日本高野連とNCAAはこの年、18歳以下のAAA大会で、IBAFによって使用が禁止された金属製バットが再び承認されるよう共同提案することで合意したが、日米の共同歩調はここでストップした。

 日本側は、アメリカに対して検査基準の緩和を求めたが、受け付けられなかった。アメリカ側は「検査方法も、使用ボールもすべてアメリカと同一でなければならない」とした。

 昨今の「申告敬遠」や「ワンポイントリリーフの禁止」などのルール改定でも、MLBを頂点とするアメリカ側は日本や他の国と協議することは一切ない。

 日本など他国は、それに合わせて翌年以降、「公認野球規則」を改定してきた。しかし昨今は、アメリカ側の改定をそのまま受け入れられないケースも散見するようになった。アメリカには「野球の宗主国」という意識があるのかもしれないが、各国には各国の事情がある。

 金属バットに関しても、日本高野連としては競技内容やチーム運営にも大きな影響を与える改定について、アメリカ方式をそのまま了承できなかった。「機能性」「品質」ではなく「検査方法」が大きなネックとなって、日米の金属バット開発プロジェクトは中断した。

取材を進める中でアメリカ側の言い分を聞いたが…

 アメリカでは2011年にBBCORの検査によって開発されたBBCOR0.50使用のバットがアマチュア球界に導入された。以後、アメリカではこの仕様のバット以外は試合で使えなくなる。イーストンやローリングスなどアメリカのスポーツメーカーはBBCOR0.50の金属バットを製造販売している。またアメリカのミズノもこの仕様のバットを製造販売している。

 しかし日本ではこれ以降、金属バット改定の話はストップしてしまった。

 高校野球の改革を目指して2014年から「リーグ戦」を展開している「LIGA-Agresiva」は「トーナメントの弊害」を重視するとともに「スポーツマンシップの学び」「原則として全員試合参加」「球数制限」などユニークな施策を取り入れている。

 その中で「飛びすぎない金属バット」の使用もその一つだった。

 BBCOR仕様のバットを導入(のちには国内ブランドのバットも製造)していた。指導者や選手からは「芯を食わないと飛ばないので、打撃向上につながる」「打球速度が遅くなったので、野手が思い切って突っ込んで取ることができるようになった」と好評だった。

 筆者はこの取材を続ける中で、BBCORを開発したNCAA関係者にも話を聞くと、こう語っていたことが印象に残っている。

「我々は開発を進めたいと思っていたが、日本側が手を引いたので、アメリカだけでBBCORの開発を進めることになった」

 ただ、日本側には導入に踏み切れない切実な事情があったわけだ。

アメリカは莫大な予算と時間をかけられる中で

 アメリカでは金属バット以外の野球関連研究にも、莫大な予算と時間をかけている。例えば、アメリカで子供が投げて良い球数、投球間隔を年齢別に規定し、MLBでも制定されている「ピッチスマート」である。

 日本で「球数制限」が問題提起された2019年10月、大阪大学で日本野球科学研究会(現日本野球学会)主催による「野球科学国際特別セミナー」が行われ、ピッチスマートの制定に深くかかわったグレン・フライシグ博士(ASMI アメリカスポーツ医学研究所研究ディレクター)が講演した。

 怪我をしていないリトルリーグの投手410名に対し、2006〜2010年の5年間、電話で聞き取り調査をするとともに、14〜20歳の若い投手で、肘の手術をした選手(66人)、肩の手術をした選手(29人)、健康な選手(45人)にも聞き取り調査をした。

 またアメリカのMLB投手の出身地についても調査し、寒冷地出身の方が、温暖地出身の投手よりもトミー・ジョン手術(肘の側副じん帯再建手術)の実施率が低いことも解明した。また人種別にも調査を進めて、この中には日本人選手のデータも含まれている。こうした長期にわたる徹底した調査で「ピッチスマート」を決めた。

 金属バットの開発についても同じだった。

 NCAAの担当者は「長期的で広範な調査データと、綿密で大掛かりな物理実験を繰り返して規格を決めた」と語っていた。だから、データには絶対的な自信があり、日本側に妥協することはできなかったのだ。

 こうした大規模な研究が可能なのは、アメリカの野球を統括するMLBや大学スポーツを統括するNCAAが、大きな予算を持ち、野球界全体のために使うことができるから。専属の研究者もいて、徹底的な研究を行う体制ができている。

 プロ、アマ各団体が個別に存在している日本とは「体制」が全く違うのだ。

森友哉ら大阪桐蔭に中村…10年代の甲子園はどうだったか

 その状況の中で、2010年代の甲子園での本塁打数はどうなっていたか。

10年 春31試15本(0.48)/夏48試26本(0.54)
11年 春31試15本(0.48)/夏48試27本(0.56)
12年 春31試19本(0.61)/夏48試56本(1.17)
13年 春35試20本(0.57)/夏48試37本(0.77)
14年 春32試13本(0.41)/夏48試36本(0.75)
15年 春31試17本(0.55)/夏48試32本(0.67)
16年 春31試16本(0.52)/夏48試37本(0.77)
17年 春33試23本(0.70)/夏48試68本(1.42)
18年 春35試20本(0.57)/夏55試51本(0.93)
19年 春31試19本(0.61)/夏48試48本(0.87)

 2010年以降、1試合当たりの本塁打数はほぼ横ばいだったが、2012年は、森友哉(現オリックス)、藤浪晋太郎(現メッツ)などを擁し春夏連覇を果たした大阪桐蔭が計8本塁打、光星学院の北条史也(元阪神)が4本塁打するなど史上2位の56本塁打。さらに2017年夏は準優勝した広陵の中村奨成(現広島)が大会新の6本塁打(以前の記録保持者はPL学園の清原和博)を記録するなど68本塁打となった。

高野連は再度の規格変更に乗り出すことに

 2000年から2009年まで、春の1試合当たりの本塁打数は0.44本(325試合142本)、夏は0.73本(488試合356本)だったが、2010年から2019年までは春は0.54本(321試合172本)、夏は0.86本(487試合418本)と明らかに増加した。

 看過できない事態となり、日本高野連は再度の規格変更――今回の新基準バット規定への流れである――に乗り出すことになる。

<つづきは第3回>

文=広尾晃

photograph by Hideki Sugiyama