あのまちでしか出会えない、あの逸品――。そこには、知られざる物語があるはず!

「歴史・文化の宝庫」である関西で、日本の歴史と文化を体感できるルート「歴史街道」をめぐり、その魅力を探求するシリーズ「歴史街道まちめぐり わがまち逸品」が開幕します! 第1回は、三重県伊勢市の「伊勢うどん」。その歴史は江戸時代にさかのぼり、命名には永六輔さんが関わっているんだとか......。

【兼田由紀夫(フリー編集者・ライター)】
昭和31年(1956)、兵庫県尼崎市生まれ。大阪市在住。歴史街道推進協議会の一般会員組織「歴史街道倶楽部」の季刊会報誌『歴史の旅人』に、編集者・ライターとして平成9年(1997)より携わる。著書に『歴史街道ウォーキング1』『同2』(ともにウェッジ刊)。


伊勢参りの旅人の腹と心を満たしたうどん

日々、多くの参詣者が集う「お伊勢さん」こと伊勢神宮。内宮の門前町のおはらい町とおかげ横丁には名産品の店が立ち並び、こちらもそぞろ歩きの人たちでにぎわう。その店のなかに「伊勢うどん」と大書する飲食店が幾つもある。

ここでうどんを初めて注文した人は、おそらく驚くことだろう。1センチ近い太さのふっくらとした麺に、たまり醤油を基本にした黒く濃厚なタレをからめて食するのである。他の地域にはない、この個性派うどんに地域の歴史文化をたずねてみた。


極太うどんにいたわりの思いをこめて

江戸時代の寛文元年(1661)は、ことのほか伊勢を群参する人が多かったという。ちょうどこのころ、内宮に近い浦田町の商人であった小倉小兵という人物が、そのおかげ参りの旅人に供するためにうどん屋を開業。これが伊勢における最初のうどん店とされる。

伊勢周辺では以前より祭事などのハレの日の料理としてうどんが作られ、地味噌の上澄みである「たまり」をかけて食していた。小兵のうどんはそれを基本にしたもので、絶えることがない参詣者のために麺を茹で続け、注文ごとに釜揚げしてたまり醤油のタレをかけたシンプルなものであった。

全国各地から長い旅をしてきた人々にとって、消化のよい柔らかなうどんはありがたく、旨辛いタレとともに元気を与えてくれる食べ物として人気を集める。すぐに提供できて素早く食べきれることも利点であったことだろう。やがてうどんを扱う店は増え、伊勢の地域料理となっていく。

伊勢うどんの特徴である極太麺を定着させたのは、遊郭で知られたかつての伊勢一番の繁華街、古市にあった「豆腐六(どぶろく)」という店である。天明2年(1782)の町図にすでに記載される老舗で、明治36年(1903)まで営業。この店のうどんを食べたことが伊勢参りの土産話になったという有名店であった。

そのうどんについては、後世、中里介山の時代小説『大菩薩峠』のうちでも語られる。

「豆腐六のうどんは雪のように白くて玉のように太い、それに墨のように黒い醤油を十滴ほどかけて食う。『このうどんを生きているうちに食わなければ、死んで閻魔に叱られる』――土地の人にこう言い囃されている名物」。まさに伊勢うどんの完成形の記述である。

残念なことに、同じく古市で営んでいたうどん店「伊勢屋」から起こった火災で豆腐六も類焼し、再び営業することはなかった。しかし、その逸品は伊勢一帯のうどん店に継承されていくことになる。