世界最大のプロレス団体であるアメリカのWWEは5日(日本時間6日)、ペンシルベニア州フィラデルフィアのウェルズファーゴセンターで年間最大のビッグイベントである『レッスルマニア』を前に、顕著な活躍をした人物を表彰する“WWE殿堂”である『WWEホール・オブ・フェーム』を開催し、ABEMAにて生中継された。

日本人女子選手としては初の殿堂入りを果たした“女帝”ブル中野が登場し、WWEユニバースや関係者に対し感謝のメッセージを行った。

往年のライバル関係にあったインダクターのブレイズが、ブル中野のこれまでの活躍を紹介。

そしてリングに花道に姿を現したブルの顔にはファイスペイントが施され、リングサイドには殿堂入りレスラーやASUKA、イオ・スカイ、カイリ・セインがスピーチを見守った。

ブルは「お久しぶりです。殿堂入りの名誉を本当に嬉しく思います。ずっと、ずっと待っていました。ここWWEで1994年、最高の経験をしました。30年前です、私は26歳の時でした。」と当時を振り返り語り始めた。

当時のWWEでの辛い生活について「1ヶ月に28試合、本当にタフな期間を過ごしました。なによりも大変だったのは、会場への移動です。なぜなら私は英語が話せませんでした。レンタカーを乗り継いで、ホテルも自分で探して、携帯電話も無い時代だったので、公衆電話を探しました。とてもとても大変な日々でしたが、沢山の友人に助けられました。皆さんの手助けもあり、遠征を続けることが出来ました」と語った。

苦労の移動を振り返ると試合に触れ「英語が話せなくても、プロレスで語り合うことが出来る。それで私は生きていると感じることが出来ました。1日目は夢のようでした。私の魂をかけて闘いました。心を貫きました。一緒に闘って下さったことを、ここで感謝したいと思います」と涙を浮かべる場面も。

ライバルでありインダクターのブレイズにも感謝を述べると「沢山のスーパースターと試合が出来たことを感謝しています。この素晴らしい機会を与えてくれて感謝しています。チャンスを無駄にしないように努力しました。WWEユニバースの皆さん、ありがとう。ブル中野を受け入れてくれてありがとう。私たちは永遠にプロレスを通してつながっています。もし生まれ変わることがあれば、また『プロレスラー・ブル中野』として生まれたいです。そしてWWEのリングに戻ってきます。皆さんとまたお目にかかれることを楽しみにしています。この賞は私の宝物です。ありがとうございました。」

現在WWEマットで活躍するASUKA、イオ・スカイ、カイリ・セインの先駆者となって全米を席巻し、日本人初のWWE女子王者となったブル中野の殿堂入りスピーチに観衆は総立ちで拍手を贈った。